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戦国時代から江戸時代前期の武将・大名 ウィキペディアから
本多 康重(ほんだ やすしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。三河岡崎藩初代藩主。大名としての本多豊後守家初代。
本多広孝の長男。母は東条松平義春の娘。正室は大垣藩主・石川家成の娘。子に康紀(長男)、紀貞(三男)、重世(四男)、娘(諏訪頼水正室)、娘(飛鳥井雅庸室)、娘(堀利重正室)、娘(遠藤慶勝正室)ら。通称は彦次郎。官位は従五位下、豊後守。
永禄5年(1562年)、元服し主君の徳川家康から片諱を与えられる。永禄12年(1569年)、掛川城攻めにて初陣を果たした。元亀元年(1570年)の姉川の戦いや天正3年(1575年)5月の長篠の戦いに参加し、特に長篠の戦いにおける鳶巣山の戦いで武田軍に左股を撃たれ、その弾は生涯にわたり抜けなかった。
天正5年(1577年)、家督を継ぐ。小田原征伐後に家康が関東に移されると、三河田原城より上野白井藩に移され2万石を与えられた。関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)には三河岡崎藩に5万石を与えられた。
父母
正室
子女
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