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昭和の巌流島
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アントニオ猪木とストロング小林の試合については「ストロング小林#新日本プロレス時代」を、アントニオ猪木とマサ斎藤の試合については「巌流島の戦い (プロレス)」をご覧ください。 |
昭和の巌流島(しょうわのがんりゅうじま)は、1954年12月22日に蔵前国技館で行われた木村政彦(37歳)vs力道山(30歳)の日本プロレス選手権試合のこと。昭和の巌流島の決闘あるいは昭和の巌流島の戦いとも呼ばれる。
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この頃はプロレスに台本(ブック)があるとは一般には知られておらず、すべて真剣勝負だと信じられていた。そのため朝日新聞や毎日新聞など一般紙やNHKまでスポーツとして報道していた。途中で力道山がこのブックを破り突然殴りかかり、木村政彦が張り手の連打でKOされた。木村政彦の歯は折れ、瞼を切り、倒れたマットには直径50cmほどもある血だまりができた。
なぜプロレスの試合でブック破りが起こったのかなど、多くの謎を残している。