明治天皇
日本の第122代天皇 (1852-1912) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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明治天皇(めいじてんのう、1852年11月3日〈嘉永5年9月22日〉- 1912年〈明治45年 / 大正元年〉7月30日[1])は、日本の第122代天皇(在位: 1867年2月13日〈慶応3年1月9日〉- 1912年〈明治45年 / 大正元年〉7月30日)。諱は睦仁(むつひと)、御称号は祐宮(さちのみや、旧字体:祐󠄀宮)。お印は
概要 明治天皇, 第122代天皇 ...
明治天皇 | |
---|---|
即位礼 |
即位礼紫宸殿の儀 1868年10月12日 (慶応4年8月27日) 於 京都御所 |
大嘗祭 |
1871年12月28日 (明治4年11月17日) 於 東京府大嘗宮 |
元号 |
慶応: 1867年2月13日 - 1868年10月23日 明治: 1868年10月23日 - 1912年7月30日 |
時代 |
江戸時代 明治時代 |
摂政 | 二条斉敬 |
征夷大将軍 | 徳川慶喜 |
総裁 | 有栖川宮熾仁親王 |
輔相 | 三条実美・岩倉具視 |
左大臣 | 有栖川宮熾仁親王 |
右大臣 | 三条実美 |
太政大臣 | 三条実美 |
内閣総理大臣 | |
先代 | 孝明天皇 |
次代 | 大正天皇 |
誕生 |
1852年11月3日 (嘉永5年9月22日) 13時頃 日本 山城国京都 中山忠能邸 (現:京都府京都市上京区京都御苑) |
崩御 |
1912年(明治45年)7月30日 午前0時43分(59歳没) 日本 東京府東京市麴町区 明治宮殿 (現:東京都千代田区) |
大喪儀 |
1912年(大正元年)9月13日 於 帝国陸軍青山練兵場 |
陵所 | 伏見桃山陵 |
追号 |
明治天皇 1912年(大正元年)8月27日追号勅定 |
諱 |
万延元年9月28日命名 |
称号 |
|
印 | 永 |
元服 |
1868年2月8日 (慶応4年1月15日) |
父親 | 孝明天皇 |
母親 | 中山慶子 |
皇后 |
昭憲皇太后(一条美子) 1869年2月9日 (明治元年12月28日)大婚 |
子女 | |
皇嗣 | 皇太子嘉仁親王 |
皇居 |
安政度内裏 青山御所 東京城・皇城・宮城 |
栄典 | 大勲位 |
親署 | |
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倒幕および明治維新の象徴として近代日本の指導者と仰がれた。維新後、国力を伸長させた英明な天皇として「大帝」と称えられる[2]。東京に皇居を置いた最初の天皇。在位中に皇族以外の摂政(二条斉敬)[注釈 1]、太政大臣(三条実美)、左大臣(有栖川宮熾仁親王)、右大臣(岩倉具視)、征夷大将軍(徳川慶喜)が置かれた最後の天皇にして、内閣総理大臣(伊藤博文)が置かれた最初の天皇でもある。皇后と共に和歌も多く残しており、その作品数は93,032首に及ぶ[3]。
今上天皇(第126代天皇・徳仁)の高祖父である。