日本大博覧会
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日本大博覧会(にほんだいはくらんかい)は、1905年の日露戦争勝利後に構想が具体化し、内国勧業博覧会と万国博覧会の折衷的な位置づけで1912年に開催されることが、1907年に正式決定された博覧会である。実質的な内容は万国博覧会であったが、財政難などのため1908年には明治天皇在位50周年となる1917年へと延期され、1911年には中止が決定した。しかし国の正式な計画として決定し、一部工事も始められていた「日本大博覧会」は、その計画内容が明治神宮の内苑と外苑に受け継がれていくなど後世に影響を与えた。
なお、本記事では「日本大博覧会」とともに、1903年に行われた「第五回内国勧業博覧会」など計画のみで終わった「亜細亜大博覧会」後の万博開催に関する動きについても説明する。