惟成親王後村上天皇の第三皇子。護聖院宮家、後亀山天皇皇太弟か。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 惟成親王(これなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族・禅僧。後村上天皇第三皇子であり、長慶天皇と後亀山天皇の弟と推定される。官位は二品・中務卿[2]。後に出家して、道号は梅隠(ばいいん)、法諱は祐常(ゆうじょう)という。近年の小川剛生の研究によれば、南朝末期に後亀山天皇の東宮(皇太弟)に立ち、南北朝合一後に護聖院宮家を興して、その初代親王になったとする説が有力である[4]。護聖院宮の項目も参照のこと。 概要 惟成親王, 続柄 ...惟成親王 護聖院宮?続柄 後村上天皇第三皇子身位 二品親王→東宮か出生 不詳死去 応永30年3月3日(1423年4月13日)[1]子女 成仁王[2]世明王父親 後村上天皇母親 大蔵卿局[3]?役職 大宰帥、式部卿、中務卿テンプレートを表示閉じる
惟成親王(これなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族・禅僧。後村上天皇第三皇子であり、長慶天皇と後亀山天皇の弟と推定される。官位は二品・中務卿[2]。後に出家して、道号は梅隠(ばいいん)、法諱は祐常(ゆうじょう)という。近年の小川剛生の研究によれば、南朝末期に後亀山天皇の東宮(皇太弟)に立ち、南北朝合一後に護聖院宮家を興して、その初代親王になったとする説が有力である[4]。護聖院宮の項目も参照のこと。 概要 惟成親王, 続柄 ...惟成親王 護聖院宮?続柄 後村上天皇第三皇子身位 二品親王→東宮か出生 不詳死去 応永30年3月3日(1423年4月13日)[1]子女 成仁王[2]世明王父親 後村上天皇母親 大蔵卿局[3]?役職 大宰帥、式部卿、中務卿テンプレートを表示閉じる