富田秀貞ウィキペディア フリーな encyclopedia 富田 秀貞(とだ ひでさだ、生年不詳 - 1367年)は、南北朝時代の御家人。美作国守護職[1]、のち山名時氏に仕えた出雲国目代。月山富田城城主。官位は左衛門尉。歴史文献では「佐々木美作大夫判官」とも記される。紋は「花輪違(七宝に花角)」。
富田 秀貞(とだ ひでさだ、生年不詳 - 1367年)は、南北朝時代の御家人。美作国守護職[1]、のち山名時氏に仕えた出雲国目代。月山富田城城主。官位は左衛門尉。歴史文献では「佐々木美作大夫判官」とも記される。紋は「花輪違(七宝に花角)」。