姉小路実世
鎌倉時代初期から中期の公卿。姉小路公宣の長男。正二位・権中納言。姉小路家(閑院流)2代 ウィキペディアから
鎌倉時代初期から中期の公卿。姉小路公宣の長男。正二位・権中納言。姉小路家(閑院流)2代 ウィキペディアから
姉小路 実世(あねがこうじ さねよ)は、鎌倉時代初期から中期にかけての公卿。権大納言・姉小路公宣の長男。官位は正二位・権中納言。姉小路家(閑院流)2代当主。
承元2年(1208年)従五位下に叙爵し、建保2年(1214年)侍従に任ぜられる。建保5年(1217年)従五位上に進み、阿波介・左近衛少将を歴任する。
承久3年(1221年)正五位下、続けて従四位下に昇る。貞応元年(1222年)左近衛中将に転じ、翌貞応2年(1223年)従四位上・近江権守に叙任される。嘉禄2年(1226年)皇太后権亮を兼ね、翌嘉禄3年(1227年)正四位下・蔵人頭に進む。寛喜2年(1230年)参議に任ぜられ公卿に列し、翌寛喜3年(1231年)阿波権守を兼任。寛喜4年(1232年)従三位に叙された。
文暦2年(1235年)正三位・権中納言に叙任される。嘉禎3年(1237年)従二位に進む。暦仁2年(1239年)正二位に叙されるが、翌仁治元年(1240年)停任され、正嘉元年(1257年)出家。文永元年(1264年)61歳で薨去。
寛喜元年(1229年)10月に火災が発生し、実世の家が焼失[2]。さらに寛喜3年(1231年)には嫡男の公綱が卒去するなど不幸に見舞われた。実世も仁治元年(1240年)に不仕によって停任され、そのまま出家した。そのため、姉小路家の当主は弟の実尚が受け継ぐこととなった。
※以下、『公卿補任』の記載に従う。
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