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天賦人権論(てんぷじんけんろん)とは、「すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつ」という近世西欧で確立された自然権(natural rights)思想を、明治時代の日本人が自国に紹介する際に用いた表現・語り口[1][2]。「nature」の訳語としての「自然」という語彙がまだ定着・普及していない時代に、儒教概念である「天」を代わりに用いて、その意味・ニュアンスを表現しようとしている[1]。天賦人権説(てんぷじんけんせつ)とも。
対義語が“自由や権利は国から与えられる”とする「国賦人権論」。
ジャン=ジャック・ルソーなどの18世紀の啓蒙思想家により主張され、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に具体化された。
アメリカ合衆国政府は「アメリカ合衆国憲法はアメリカ合衆国国民及びアメリカ合衆国国内にしか適用されないため、アメリカ合衆国は外国人及び国外には人権を保障しない。」と表明しており[3]、松尾文夫など、先住民掃討や国外での無差別攻撃に見られるようにアメリカ合衆国政府は建国以来事実上「天賦人権説」をとっていないと主張する論者もいる[4]。
しかし「戦争中の敵の人権や、国民ではない奴隷の人権を尊重しなかった」にせよ、米国は国民の人権は一貫して天与の人権として認めており、「政府から恩典として与えられる人権」という考えは西側民主主義国は取っていない。
人間の権利は永久不可侵であるとする自然権の思想から、自由と平等が強調され、明治初期に福澤諭吉・植木枝盛・加藤弘之・馬場辰猪らの啓蒙思想家、民権論者によって広く主張された[2]。
天皇の家庭教師もつとめ、江藤新平ととも洋学中心の体制を整えた加藤弘之は、1875年には『国体新論』を著し「君主も人、人民も人なり」と平等思想を説き、国学の国体論を批判した[5]。しかし元老院議官海江田信義が『国体新論排斥の建言書』を提出し加藤を「刺殺しかねない勢いで」恫喝、政府高官も次々に批判すると加藤は折れ、天賦人権説を妄想として否定するに至った[6]。この加藤の変節に対して、植木枝盛・馬場辰猪・矢野文雄・黒岩大らが反論し、こうした受容の段階を経て、天賦人権説は次第に政治思想として確固たる基礎を築いて行った[2]。
自由民主党の日本国憲法改正草案では、天賦人権説は西洋的な「神の下の平等という観念を下敷きにした人権論」なので、日本独自の考え方によって「第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」に改めるとしている[7]。
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