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大陸の花嫁
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大陸の花嫁(たいりくのはなよめ)とは、満洲国の建国にともない行われた日本の移民政策のもと、日本から移民した男性との婚姻をきっかけとして渡満した日本人女性を意味する、メディアが用いた呼称[1]。類似する言葉に開拓の花嫁、拓士の妻、北満の花嫁などがある。
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日本から満洲国への移民が本格化し多数の青年が入植すると、配偶者問題が起こる。その為「満蒙開拓移民に伴侶を送ることは移民政策の成否を占う」として日本国政府が花嫁送出事業を推進した。最初の大陸の花嫁は1934年に渡満したが、花嫁送出が国策になるのは『二十カ年百万戸送出計画』が策定された1936年以降で、1938年から本格化して終戦直前まで続けられた[1][2]。花嫁は単に送り出されるだけではなく、拓務省の助成で府県が講習会の開催や訓練所の開設を行い、農村の女性を中心に花嫁養成教育を受けさせた。また、婦人雑誌など様々なメディアは「純朴でつつましく、けなげで意志が強くて働き者」という大陸の花嫁のイメージを喧伝して国策に協力した[1]。大陸の花嫁となった女性は、家庭の事情や社会的使命感、あるいはメディア宣伝による憧憬心や好奇心から募集に応じた[1]。
開拓団として入植した女性は、開拓地で関東軍の兵站を支えるなど侵略政策の一端を担うが、戦争末期になると開拓団の男性は召集されたため、女性たちが中心となって開拓地を運営した[2]。終戦を迎えると開拓地に残された女性らは自力で過酷な帰国(引き揚げ#満洲からの引き揚げ)を強いられ、集団自決をした開拓団もある。また、帰国の途上で強盗や強姦に遭ったり、帰国を諦めて中国残留婦人となった人も少なくなかった[1]。