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大関 増親(おおぜき ますちか)は、江戸時代前期の大名。下野国黒羽藩4代藩主。
寛永12年(1635年)、3代藩主・大関高増の嫡男として生まれる。
寛永20年(1643年)7月に江戸幕府3代将軍・徳川家光に御目見する。正保3年(1646年)11月12日、家督を継ぎ、弟の増栄・増君(後に増公)にそれぞれ1000石を分与し[1]、黒羽藩は2万石から1万8000石の藩となった。12月5日、父・高増の遺物である備前兼長を献上している[1]。
承応元年(1652年)12月28日、従五位下・土佐守に叙任する。明暦元年(1655年)に大阪加番となった。寛文元年(1661年)閏8月3日、上野国館林藩主・松平乗久が下総国佐倉藩に移封された際は、織田信久と共に館林城の守備を担っている[2][3]。
寛文2年(1662年)4月1日、江戸藩邸において死去した。享年28。
実子が無く、弟・増栄が養子として跡を継いだ。
父母
正室
養子
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