大明宮ウィキペディア フリーな encyclopedia 大明宮(たいめいきゅう)は、唐の都・長安の北東にあった宮城[1]。現在の陝西省西安市の北郊外、太華南路に位置する[2]。大明宮は、太宗が父の高祖のため634年に建設を始め、高宗が大規模に増築して663年に太極宮からここへ朝政を移し、以降904年までの240余年にわたり17人の皇帝が起居し政務を執る[2]唐王朝の政治中枢となった[3]。太極宮、興慶宮と共に長安の“三大内”を成す[3]。 長安城の平面図。北東の域外へ台形状に突き出た一角が大明宮。 1957年より遺跡の発掘が始まり、現在その跡地は大明宮国家遺跡公園として一般に開放されている[4]。中国の5A級観光地(2020年認定)である[5]。
大明宮(たいめいきゅう)は、唐の都・長安の北東にあった宮城[1]。現在の陝西省西安市の北郊外、太華南路に位置する[2]。大明宮は、太宗が父の高祖のため634年に建設を始め、高宗が大規模に増築して663年に太極宮からここへ朝政を移し、以降904年までの240余年にわたり17人の皇帝が起居し政務を執る[2]唐王朝の政治中枢となった[3]。太極宮、興慶宮と共に長安の“三大内”を成す[3]。 長安城の平面図。北東の域外へ台形状に突き出た一角が大明宮。 1957年より遺跡の発掘が始まり、現在その跡地は大明宮国家遺跡公園として一般に開放されている[4]。中国の5A級観光地(2020年認定)である[5]。