大ブルガリア (中世)
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大ブルガリア(だいブルガリア)、または古い大ブルガリア(ブルガリア語: Стара Велика България / Stára Velíka Bǎlgárija、ギリシア語: Παλαιά Μεγάλη Βουλγαρία / Palaiá Megáli Voulgaría)は、東ローマ帝国の歴史書に登場する用語で、7世紀のクブラト・ハン(Кубрат / Kubrat)による一代限りのヴォルガ川下流からドニエストル川までの範囲のカフカース山脈北部・ステップ地帯の支配を指し示す[1]。オノグリア(Onoguria / Onoghuria)とも呼ばれる。
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632年 - 668年 → (国旗)
中央の黄土色が大ブルガリア(650年頃)。
西の赤色がアヴァール可汗国、南の紫色は東ローマ帝国、東の濃い青はハザール汗国、その東の薄い青は西突厥。
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