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元は、1905年(明治38年)に山陽鉄道が自社兵庫工場で2両を製造[1]した、車軸配置2-6-0(1C)、ヴォークレイン4気筒複式の飽和式テンダ機関車である。山陽鉄道での形式は27形、番号は121, 122であった。1906年(明治39年)、山陽鉄道は国有化されたが、しばらくは山陽鉄道時代の形式番号で使用された。その後、1909年(明治42年)には鉄道院の車両形式称号規程が制定され、本形式は8500形(8500, 8501)に改められた。
基本的なプラクティスは1893年(明治26年)にボールドウィンで製作された5形(後の鉄道院8450形)に準拠しているが、寸法的には翌年に製造された28形(後の鉄道院3380形)とは各部の寸法が共通であり、後年の鉄道省C12形/C56形と同様の系列設計となっている。先従台車はビッセル式で、炭水車は25形後期形(後の鉄道院6100形)と同じものである。
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