吉田茂八ウィキペディア フリーな encyclopedia 吉田 茂八(よしだ もはち[1]、1825年(文政8年)[2][3]か1838年(天保9年)[2] - 没年不明[4][5])は、江戸時代の豊平川左岸の渡守であり[6]、札幌の開拓初期の人物である。現在の札幌市域における、最初の和人の居住者の一人であるとされる[1]。 1872年(明治5年)の豊平橋。岸辺に吉田茂八の家が見える。 札幌開祖吉田茂八碑
吉田 茂八(よしだ もはち[1]、1825年(文政8年)[2][3]か1838年(天保9年)[2] - 没年不明[4][5])は、江戸時代の豊平川左岸の渡守であり[6]、札幌の開拓初期の人物である。現在の札幌市域における、最初の和人の居住者の一人であるとされる[1]。 1872年(明治5年)の豊平橋。岸辺に吉田茂八の家が見える。 札幌開祖吉田茂八碑