Loading AI tools
日本のパントマイマー (1950-) ウィキペディアから
北 京一(きた きょういち、1950年 - )は、大阪生まれ、日本のパントマイマー。北京二との漫才コンビ「北京一・京二」で活動。本名は久墨健一。
成城工業高校出身、ゼンジー北京に師事し、2代目ゼンジー・一億の名で北京のアシスタントを務める。1971年9月、北京二と漫才コンビ「北京一・京二」を結成、数々の舞台やテレビ番組で活躍するが、1973年コンビ解散。コメディよりもパントマイムの世界に惹かれるようになり、1974年にはマイム修行のため渡米する[1][2]。
帰国後、1975年にはソウルファンクバンド「ソー・バッド・レビュー」に参加しボーカルを務める。1976年解散[3]。渡仏して、1981年には近代マイムの父と呼ばれるエティエンヌ・ドゥクルー に師事[2]。ドイツ・フランクフルトにてダンススクール「TANZELL」を開校し、アートディレクターを務める[4]。帰国後もパントマイム、舞台演出で活動。
2005年には、バンド「金子マリ Presents 5th Element Will」に参加[5]。
2014年7月25日、フジロックフェスティバルにおいて、ソー・バッド・レビューとして一日限定の再結成ライブを行う[6]。
2018年、北京一・京二としての活動を正式に再開する[1]。
2021年、浅井宣通(メディア・アーティスト)制作による北のパントマイム作品「EVOLUTION」が、イギリス「Lion Film Festival」の短編部門において、最優秀賞(Best Short Experimental Film)とオリジナル賞(Most Original Short)を獲得[7][8]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.