利用者:DY111/Osho
ウィキペディア フリーな encyclopedia
Osho:(本名:モーハン・チャンドラ・ジャイン)、1931年12月11日 - 1990年1月19日)は、インドの宗教家、神秘家、瞑想指導者、精神指導者。宗教的ではあるが宗教の創始者ではない[1]。「宗教的」とは信仰を土台としない内面的探究、精神世界の求道であり、個の次元でしかないから宗教組織とは全くの圏外におかれる[1]。 真理の探究こそ第一の優先事項である、人間は全実存をかけて、まず第一に自らの生の源泉を探究することにその関心を寄せねばならない[2]、と言っている。
死の1年程前に自らの名をOsho(和尚/オショー)に変えており、現在は世界的にOsho(オショー)として広く知られている。
東洋・西洋の宗教的な聖典や経典(仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、老荘思想、チベット仏教、スーフィズム、禅など)を題材にとり、それに古今東西の哲学や思想、現代西洋科学、心理学等を織り交ぜて独自の解釈を加え、魅力的でパラドックスに富んだ講話を行った[3]。講話は同じ教典に基づく10話で1シリーズの形式をとり、長いものでは10シリーズ以上にも及んだ。教典に基づく講話の翌日には弟子の質問(投書)に基づく質疑応答の講話が行われ、これが交互に繰り返された。インドの因習的伝統や組織宗教に対する批判を行い、セックスが超意識に至る手段になりえると説いて議論を巻き起こし、身体を重視するホリスティックな教え、タントラ的な「悟り」とそこに至る方法を教えた[4][5]。 セックスは石炭であり、一方ブラフマチャリア〈性超越〉はダイヤモンドだと言いたい、性超越はセックスの変容だ[6]、と彼は説いた。 Osho自身は自身の思想の構造について明言していない[7][8]。西洋の前衛的なセラピーと東洋の修行法を並列的に扱って統合し、新しい瞑想法を創始し、精神世界のカリスマ、グル的存在として多くの西洋人・先進資本主義国の人間を惹きつけた[9][4][10]。
中川吉晴(教育学)はこう述べている――最近では、非二元の教えがひとつの流行になっているが、Oshoの教えの核心には非二元の思想がある。[11] 行動志向の現代人からは「くつろいでいるだけで本当によいのか」という声がかえってきそうだが、Oshoは、くつろいでいても「行為」は起こるという。[12] しかしそれは「やり手(行為者)」が引き起こす行動とは異なる。[13]
アメリカに移ってからはオレゴン州ワスコ郡に大きなスケールの先進的でエコロジカルなコミューン(生活共同体)ラジニーシ・プーラムを建設した[14][15]。団体が所有する土地にラジニーシ・プーラムを市として設立させ改名したため、地元の住民、オレゴン州政府と対立し[14][15]、オレゴン州と裁判で争った[15]。Oshoインターナショナルは現在も、ラジニーシはアメリカでの一連の出来事に非がないと考え、アメリカ政府の陰謀であり、現地住民の外国人差別による迫害だと激しく反論している[16]。
死後、Oshoの教えは弟子たちによって、外部との軋轢が少なくなるよう再編され、教えの中心的な要素が再構成されており、精神世界の探究者たちから広く受け入れられるようになった[17]。Oshoの身体を重視するホリスティックな教えと、東洋の瞑想と西洋の心理療法の統合は、現代の代替宗教に大きな影響を与えており、その講話集の多くは世界的なロングセラーとなり、近年ではOshoの評価は以前にも増して向上している[4]。
1975年に日本で最初にニューズレターの形で出版された講話録「存在の詩」[18]は1977年に単行本化[19]された後、ロングセラーを続けており、2020年に新装復刊[20]された。出版に際し翻訳者・星川淳と僧侶・藤田一照[21]の対談がネット配信され、多くの読者の好評を博した。