分島問題
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分島問題(ぶんとうもんだい)[1][2]とは、1879年(明治12年)の日本政府による琉球併合後に、アメリカ合衆国前大統領ユリシーズ・グラントの斡旋により開始された日清間の交渉の中で問題となった、琉球諸島を日本と清との間で分割する構想である。沖縄本島周辺を日本、宮古列島、八重山列島を清に分割する案でいったん日清間の合意が成立したものの、清に亡命した脱清人による粘り強い反対運動と、清が同時期に抱えていた清とロシア間の国境紛争であるイリ問題が解決に向かったことにより清側が調印を回避したため、琉球諸島の分割は行われなかった。
分割と日清修好条規の改正をセットにした案については、分島改約案や分島増約案と呼ばれている。