兒玉次郎彦ウィキペディア フリーな encyclopedia 兒玉 次郎彦(こだま じろうひこ、旧字体:兒玉 次󠄁郞彥)は、幕末の徳山藩士。徳山七士の一人。諱は忠炳、号は青山、品山。徳山藩士・浅見栄三郎(正欽)の次男で、児玉半九郎の養子となる。兄は同じく徳山七士である浅見安之丞。妻は明治時代の軍人・児玉源太郎の姉である兒玉久子。家格は馬廻、禄高は100石。 概要 凡例児玉(こだま) 次郎彦(じろうひこ), 時代 ... 凡例児玉(こだま) 次郎彦(じろうひこ)時代 幕末生誕 天保13年6月14日(1842年7月21日)死没 元治元年8月12日(1864年9月12日)改名 児玉巌之丞(幼名)→児玉忠炳別名 号:青山、品山戒名 一休院義岳了忠居士墓所 興元寺の隠居山墓地(山口県周南市)官位 贈従四位主君 毛利元蕃藩 周防徳山藩氏族 児玉氏父母 父:浅見栄三郎、母:ツネ(浅見甚助正保の次女)養父:児玉半九郎兄弟 浅見安之丞、次郎彦妻 久子(児玉半九郎の長女)子 文太郎テンプレートを表示閉じる
兒玉 次郎彦(こだま じろうひこ、旧字体:兒玉 次󠄁郞彥)は、幕末の徳山藩士。徳山七士の一人。諱は忠炳、号は青山、品山。徳山藩士・浅見栄三郎(正欽)の次男で、児玉半九郎の養子となる。兄は同じく徳山七士である浅見安之丞。妻は明治時代の軍人・児玉源太郎の姉である兒玉久子。家格は馬廻、禄高は100石。 概要 凡例児玉(こだま) 次郎彦(じろうひこ), 時代 ... 凡例児玉(こだま) 次郎彦(じろうひこ)時代 幕末生誕 天保13年6月14日(1842年7月21日)死没 元治元年8月12日(1864年9月12日)改名 児玉巌之丞(幼名)→児玉忠炳別名 号:青山、品山戒名 一休院義岳了忠居士墓所 興元寺の隠居山墓地(山口県周南市)官位 贈従四位主君 毛利元蕃藩 周防徳山藩氏族 児玉氏父母 父:浅見栄三郎、母:ツネ(浅見甚助正保の次女)養父:児玉半九郎兄弟 浅見安之丞、次郎彦妻 久子(児玉半九郎の長女)子 文太郎テンプレートを表示閉じる