今出川兼季
鎌倉時代後期~南北朝時代の公卿。西園寺実兼の四男。従一位・太政大臣、右大臣。勅撰集『新後撰和歌集』以下に11首入集。今出川家初代。出家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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今出川 兼季(いまでがわ かねすえ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。太政大臣・西園寺実兼の四男。官位は従一位・太政大臣。今出川、または菊亭と号す。
概要 凡例今出川兼季, 時代 ...
『天子摂関御影』より | |
時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
生誕 | 弘安4年(1281年) |
死没 | 暦応2年/延元4年1月16日(1339年2月25日) |
改名 | 兼季→覚静(法名) |
別名 | 号:今出河、菊亭 |
官位 | 従一位、太政大臣 |
主君 | 後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇 |
氏族 | 今出川家 |
父母 |
父:西園寺実兼 母:藤原孝子(藤原孝泰の娘)[1] |
兄弟 |
西園寺公衡、覚円、鏱子、瑛子、 西園寺公顕、兼季、性守、道意、禧子、公具 |
妻 | 正室:西園寺公顕の娘 |
子 |
実尹、妙菊[2] 養子:公冬 |
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法華宗陣門流の門祖日陣は娘の妙菊を通して孫にあたる。今出川の号は領有していた今出川殿による。今出川殿はもともとは次兄・公顕が領し、公顕も今出河を号していたが、兼季が殿邸を相続した。また、別号を菊亭と称したが、これは兼季が菊を好んで邸の庭に植えたからとも、菊亭という名の西園寺家領の殿邸を兼季が伝領したためともいわれている。
父・実兼より、次兄・公顕の継嗣とされ、兼季の後は公顕の子の実顕を嫡子とするように定められていた。しかし、兼季に実子実尹が生まれ(母は公顕の娘)、一方で実顕が兼季よりも先に早世し、実顕の子公冬も南朝に仕えたため、兼季が今出川殿を相続し、兼季の子孫が今出川家を称するようになった。