京東東路ウィキペディア フリーな encyclopedia 京東東路(きょうとうとうろ)は、中国宋朝が設置した行政区画。北宋の都である開封府の東に位置する。現在の江蘇省北部及び山東省の大部分に相当する。 997年(至道3年)、全国を15路に分割した際に京東路として設置され、1072年(熙寧5年)に東西二路に分割された。建炎年間に金朝の勢力下に置かれると廃止された。金朝は旧京東東路に山東東路を設置している[1]。
京東東路(きょうとうとうろ)は、中国宋朝が設置した行政区画。北宋の都である開封府の東に位置する。現在の江蘇省北部及び山東省の大部分に相当する。 997年(至道3年)、全国を15路に分割した際に京東路として設置され、1072年(熙寧5年)に東西二路に分割された。建炎年間に金朝の勢力下に置かれると廃止された。金朝は旧京東東路に山東東路を設置している[1]。