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日本の声優 (1954-) ウィキペディアから
井上 和彦(いのうえ かずひこ、1954年3月26日[12][13][14][15] - )は、日本の声優、ナレーター[6]、舞台俳優、音響監督。神奈川県横浜市南区浦舟町、西区久保町出身[3][5]。B-Box所属[8]。
いのうえ かずひこ 井上 和彦 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 | 井上 和彦[1][2][注 1] |
愛称 | 和彦さん[4] |
性別 | 男性 |
出生地 | 日本・神奈川県横浜市南区浦舟町[3] |
出身地 | 日本・神奈川県横浜市西区久保町[5] |
生年月日 | 1954年3月26日(70歳) |
血液型 | O型[6][7] |
職業 | 声優、ナレーター[6]、舞台俳優、音響監督 |
事務所 | B-Box[8] |
配偶者 | なし(結婚歴あり) |
公式サイト | 井上 和彦|B-Box |
公称サイズ(時期不明)[9] | |
身長 / 体重 | 174[6][8] cm / 75 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1973年[10][11] - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
デビュー作 |
『虎屋の水羊羹』[12] 兵士(『マジンガーZ』)[10] |
神奈川県横浜市南区浦舟町の横浜医科大学付属病院(現:横浜市立大学附属市民総合医療センター)[注 2]で誕生[3]。出生時は3600gであり、祖母が「おお、随分黒いオチンチンだ。丈夫になるぞ」と言ったという[3]。その後、高校卒業まで西区久保町で育つ[3][5]。
小さい頃はガリガリに痩せていたことから、「もやし」、「糸こんにゃく」というあだ名で呼ばれていたこともあった[11]。性格的には明るかったといい、リーダーシップがある方ではなかったが、朗らかでのほほんとした子供であった[11]。近所のお兄ちゃんに連れられ、当時富士急ハイランドでしていたオールナイトのスケートに行ったこともあった[11]。
小学6年生の謝恩会の時に舞台に立ったが、当時は後に声優として活動することになるとは予想もしていなかった[12]。ただし、なんとなく「CMのナレーターなんかいいなあ」と城達也、黒沢良の声に憧れていた[12]。
横浜市立稲荷台小学校[16]、横浜市立岩井原中学校[16]を経て横浜市立横浜商業高等学校[15][17]を卒業。高校3年生位の頃、早朝ボウルがあったためボウリング[注 3]を始める[3]。その時はボウリングが大ブームで中山律子はじめ、須田開代子、矢島純一など、プロボウラーが活躍していた大会がテレビで放送されており、その影響で両親と一緒に週に2、3回はボウリングに行っていた[11]。高校3年生になり「進路をどうするんだ」となった時に「プロボウラーになりたい」と言ったところ、父親は「なにー!?」のような反応であったが、何とか許してくれた[11]。同時に学校で決められた所に行くのは嫌で、いわば「駅弁を持って何処かへ行くのではなく、手作りの弁当でなければ食べた気がしない」といった心境で「じゃボウリング[注 3]場にしよう」ということで、プロボウラーを目指して高校卒業後、学校近くのボウリング場のタニーボウルに就職する[2][3][11][17][18][19]。しかし、思い描いた理想と現実のギャップに戸惑い、人と話すことが苦手になり半年で退職する[18][19]。井上は当時を振り返って「色んなことがあって人間不信に陥り、他人が乗っているエレベーターに一緒に乗ることさえ苦痛だった」と語っている[18]。その後、2か月ほど一人暮らしのアパートに引きこもって過ごすが、生きるために働かねばと発奮し、テレビ局の大道具係の仕事を始める。井上は「道具を扱うだけの仕事だろう」と高をくくって選んだと語っているが、実際にやってみたらハードで驚いたという。しかし、この仕事で心身ともに弱っていた自分が強くなり、感謝していると語っている[18]。
そんな折、ボウリング場勤務時代の同僚が声優になりたいと言うので、当時銀座にあった養成所・テレビタレントセンター東京校の試験を一緒に受けることになる[18]。当初は声優や役者の仕事に興味が無かったが、人と話す訓練のつもりで試験を受けたら見事に合格したという。なお、井上を誘った同僚は試験に落ちた[19]。その養成所の講師には、後年井上の師匠となる永井一郎がおり、養成所に通っていた1年間のうち後半の半年間は永井の指導を受けた[19][20]。養成所に通っていたころは、喫茶店、立ち食い蕎麦屋、ビラ配り、ビルの清掃員など様々なアルバイトを掛け持ちしていた[18]。養成所の同期には郷里大輔、中谷ゆみ、川島千代子がいて、その中でも同期の郷里とは同じクラスだったことで仲が良く、アルバイトを探していた時に郷里から仕事を紹介してもらったこともあった[18]。郷里もあまり芝居の経験がなかった人物であったため、「いやー芝居って何だろうね井上ちゃん」、「わかんないよね。でもあの人上手いよね。何で上手いんだろうね」と話しながら、カセットテープにラジオ、テレビのセリフを録音して、台本を作り練習していた[11]。わからないことだらけであったが、何とか芝居ができるようになりたかったため、必死で2人で芝居の研究をしていた[11]。当時については「彼がいなかったら、たぶん声優にはなっていなかった」と回想している[11]。
養成所を卒業後は、半年ぐらいフリーでブラブラしており、プロダクションやテレビ局に売り込み、挨拶まわりをしていた[12]。その時、偶々ラジオ関東(現:ラジオ関東)のディレクターに知り合いがおり、その人物がコンテストのACCに作品を出すことから「ナレーションやってみないか」と呼ばれた[12]。念願のナレーションだっため、急いでオーディションを受けたところ、素人のような喋り方をしていた井上が新鮮に聞こえたようで、見事合格したという[12]。1982年時点でもそのテープが家にあり、たまに聞くと恥ずかしいぐらい素人そのもので、「よく受かったもんだ」と感じているという[12]。そのコンテストで奨励賞を貰ったため、最初の仕事で賞を受けたことは嬉しかったという[12]。後で聞いたところによると、予選で半分落としておき、残りは皆奨励賞だったという[12]。その後は講師である永井の推薦で青二プロダクションに所属する[18][19]。所属事務所の経歴は、青二プロダクション[18][19]→ぷろだくしょんバオバブ[20]→81プロデュース[21]→大沢事務所[1][22][23]→元氣プロジェクトとなっている。元氣プロジェクト移籍後社長に就任。妻の越智静香が副社長を務めた[24]。その後、井上和彦、越智静香夫婦でB-Boxを設立[8][13]。養成所時代から、CMやテレビドラマの仕事を貰っていたことから、井上は当初「わりと簡単にお仕事をもらえる世界なのかな」と甘く見ていたが、プロダクション所属になってからは仕事をするよりアルバイトをする時間の方が長かったと回想している[18]。
初めての仕事はラジオCM『虎屋の水羊羹』であった[11][12][15]。テレビアニメとしてのデビューは『マジンガーZ』(1973年)の兵士役で[10]、『UFOロボ グレンダイザー』(1975年)で初めてレギュラーの座を獲得するものの、1回呼ばれただけで降板させられた[18]。この経験について井上はとても悔しかったと語っており、アパートの部屋で枕に顔を押し付けて泣いたという[18]。それ以来、近所の河原に行っては「大変です! UFOが来ます…」というその時の台詞を繰り返し発声して練習したと振り返っている[18]。その後『一休さん』(1976年)の哲斉役で初めて名前のある役に抜擢され、『キャンディ・キャンディ』(1976年)のアンソニー・ブラウン役を得て、『超合体魔術ロボ ギンガイザー』(1977年)の主人公白銀ゴロー役で初の主演となった[19]。
その後、『サイボーグ009』(1979年)の主人公・009(島村ジョー)役に選ばれる。井上自身、この作品に出演したことが声優として最初の転機だったと語っており、二枚目声優としての地位を確立。以後も様々なヒーローや二枚目役を演じることとなった[19]。
また、『美味しんぼ』(1988年)の主人公・山岡士郎役に選ばれたことは、『サイボーグ009』の島村ジョーを演じたのと同じく、二度目の転機になったと井上は語っている[25]。
以来、テレビアニメ、外国映画の吹き替え、ナレーションなどの各分野で幅広く活動し、2009年には、第3回目となる声優アワードの助演男優賞を受賞した[26]。
声優以外にも、『人造人間キカイダー THE ANIMATION』以降は音響演出としても活動しており、『リアルバウトハイスクール』、『機動新撰組 萌えよ剣TV』、『スパイラル -推理の絆-』のほか『tactics』、『うえきの法則』ではアフレコ監督を務めた。音響演出として活動することになったのは石ノ森章太郎の『人造人間キカイダー』 が初めてアニメ化される時に、「演出を誰に頼もうか」ということで、石ノ森プロの人物が「和彦さんがいいんじゃないか、『サイボーグ009』もやってくれていたし」と提案した[11]。そこで音響会社の社長から「和彦さんやってくんない?」と依頼があり、「いやいやいや! 初めてですよ。俺でいいんですか?」と困惑したが、「大丈夫だと思うから。何かあったら助けるから」と言われ「それじゃあやります」と承諾した[11]。
ダビング待ちで時間をとられることなどが声優業に支障をきたすことから、その後演出家としての活動は休止するが、この時の経験から芝居以外の音響演出に考えが及ぶようになり、その後の声優業に役立っていると語っている[27]。
2022年、第9回Yahoo!検索大賞声優部門で4位を獲得[28]。
声優としては、アニメ、外画吹き替え、ナレーションなどで活躍している[9]。
低く落ち着いた声質が特徴[10]。その声を活かした二枚目な役を演じている[10]。
趣味はボウリング、ウィンドサーフィン、釣り[8]、スキー、ゴルフ、歌[22]。ウィンドサーフィンに関しては同い年の声優・古谷徹に勧めたところ、古谷もウィンドサーフィンに熱中するようになり、趣味のひとつになったという。
小さい頃は昔あった貸本屋で漫画を読んでいた気がしていた[11]。自分で初めて漫画を買ったのは小学生の頃で、当時『週刊少年マガジン』に連載されていた楳図かずおの『半魚人』を読み、衝撃を受けた[11]。あまりにも衝撃的で「こんなのあったら怖いな」と思いながら、結局話の続きが気になり全巻そろえたという[11]。中学生の頃には石ノ森章太郎の『サイボーグ009』や白土三平の『ワタリ』なども読み、友人が皆漫画のキャラクターを真似して描いていた[11]。声優デビュー後は、オーディション、仕事関係で漫画を読むことがメインになってしまったという[11]。
野島裕史が主催するロードバイクチーム「VOICYCLE」のメンバーとしても活動している[30][31]。
好きな言葉は「ありがとう」[32]。
タレント養成所の講師だった永井一郎の推薦で入った青二プロダクションでは、分裂騒動時に富田耕生側へついてぷろだくしょんバオバブへ移籍したために永井の逆鱗に触れて7年間絶縁したが、のちに和解している[20]。
小杉十郎太とは、同じ横浜市出身であり、小杉が通っていた中学校は、井上が通っていた高校と川を挟んだ向かい側にあったという[33]。井上は弓道場から中学校のグランドが見えており、その頃は面識がなかったが、中学生が部活をしている姿など、蹴ったボールが川に落ちて、慌てて取りに行っている姿を「あ〜、またやってるよ(笑)」という感じで見ていたという[33]。
3回の結婚歴と離婚歴がある。最初の結婚相手は漫画家のいがらしゆみこで石ノ森章太郎夫妻が仲人として東京で挙式、その後の再婚相手は声優の荒川美奈子[15]。と大阪で挙式、そして女優の越智静香との再々婚で神奈川県鎌倉市で挙式であったが、2012年3月に離婚している[34]。いがらしゆみことの間に一般人の長女と息子として元ジャニーズJr.で女装タレントいがらし奈波として活動する五十嵐慶一がいる。なお、いがらし奈波が父である井上と初めて会ったのは15歳の時とインタビューで答えている[35]。
小さい頃は、パイロット、エンジニアになりたかったという[2]。
中学時代、通学路の途中の原っぱで弓を弾いていたおじいさんと出会い、放課後に弓道の手ほどきを受けていた[11]。中学、高校時代は弓道部に所属していた[36]。そこですごい筋トレをして、その後は筋肉がついてだいぶ丈夫になった[11]。高校1年生の時に神奈川県大会で個人優勝した経験を持つ[3][32]。
父親が第二次世界大戦で広島市にて従軍中、原子爆弾によって被爆した被爆2世である。井上は毎年、広島と長崎の原爆投下日である8月6日と9日に自身のブログにおいて、戦争や原爆に対する思いを綴っている[37]。
初主演の『超合体魔術ロボギンガイザー』では録音ディレクターの本田保則から「もっと頭のこっちのほうから出てくる声を出して」など感覚的なダメ出しをされており、言われた感じでやってみると「ああ、なるほど」と思った[38]。
『機動戦士Zガンダム』ではジェリド・メサ役を演じているが、飛田展男によるとカミーユ・ビダン役のオーディションも受けていたという[39]。
『美味しんぼ』の山岡士郎役は普段は二日酔いで出てくるシーンが多く料理の話になるとピリッとする役で、最初は普段がカッコよすぎてヒーローみたいだとダメ出しをされていたが、あるディレクターのボソボソした喋り方をイメージしたらオーケーが出たという。それまでは力を抜いて台詞を喋ってはいけないと思っていたが、力を抜いた芝居をすることでピリッとする時の変化も出せる、普通の人もオンとオフがあると新たな発見になったという。また、料理がテーマであるため酒を飲んだ時や料理を食べた時の感情を意識するようになったという[38]。
役作りでは最初のインスピレーションを大事にしており、『天空戦記シュラト』のレイガ役はオーディションの台詞は普通の男の口調だったが、キャラ表を見た際にオネエだと思い、普段はオネエキャラで戦う時は男らしく演じてみると受かったという[38]。
外画吹き替えではマッツ・ミケルセン(本人公認[40][41][42][43][44][45][46][47])をはじめとして、アーロン・エッカートやジョン・トラボルタ、アンディ・ラウ、マシュー・フォックスなどの俳優を持ち役としている。また真田広之の海外出演作の吹き替えも複数担当した経験がある。吹き替えではトム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』が特に印象深いという。外画は「この人はどういう思いで、この役を演じたんだろう」と考え、なんとなく「こういう気持ちだったのでは」と分かってくることがあるためすごく嬉しいと語っている[38]。
実家は中華食堂を営んでおり、土日はかき入れ時で両親も休まず働いていた[11]。小学2年生の時に担任の教師が「お子さんと過ごす時間がすごく短いから、なるべく一緒に遊んであげてくださいね」と言ったことで、次の週から日曜日は店が休みになり、それがきっかけで父親と遊びに行くようになった[11]。母親の実家が小田原市だったため、夏休みにはそこで生活したこともあった[11]。その時に体が細くて弱かったことから、「原っぱや田んぼを駆けまわれば少しは元気になる」という理由で預けられたのだろうと語っている[11]。8歳年下の弟がいる[2]。
マッツ・ミケルセンの吹き替えは、『ハンニバル』(テレビドラマ版)で初担当して以降、大半の作品を担当するようになり、現在では「マッツ・ミケルセンの吹替でお馴染み」「ファンからも待望の声」と評されるほどに定着した[48][49]。 2016年には、『ドクター・ストレンジ』のPRのために来日したマッツと対面を果たし、握手を交わした。当時、声優の仕事を始めて44年目となる井上は吹き替えを担当する俳優との対面は自身のキャリアの中で初めての出来事であったといい「頑張ってて良かった」とコメントを残している[50]。その際にマッツはデンマークでも吹き替え版が普及していると説明し、かつて自分も吹き替えに挑戦したことを「本当にひとつのアート。声を映像に合わせると同時に、自分のものとして表現しなければいけない。僕も一度挑戦しましたが、とても難しかった」と述懐した。同時に「素晴らしい芸術の一つなのに、過小評価されている。なので、井上さんに大きな拍手を送ってください」と敬意を表し、最後には「僕の声を日本で当ててくださっている方がこんなにハンサムで嬉しいです」とお墨付きを貰った[42][43][44]。最大限の賛辞を受けた井上は「3年以上マッツさんの声をやり続けてきたので、やっとお会いできて嬉しいです。もっと近寄りがたい方なのかと思っていたんですが……こんな言い方したら失礼ですけど、“そのへんにいる優しいお兄さん”みたい(笑)。すごくフレンドリーです」と語った他、楽屋でマッツにサインを求めた際に「君は僕かい?」と言われたと振り返っている[51]。2023年に開催された大阪コミコン2023では5月6日に『日髙のり子のボイスアクターズ』の特別ステージに出演したが同日にマッツもコミコンに登壇するために再来日を果たしており、直接の共演こそないものの同じ会場に居合わせることになった。そして休憩時間にバックヤードでマッツとの再会を果たしたが、マッツは井上を見つけるなり「My Voice!(自分の声)」と駆け寄り、アナザーラウンドの演技などについて質問をされたことを明かした[45][46][47]。
マッツの魅力について井上は「いきなりしゃべらないで、まず(マッツの)顔が出てくるじゃないですか。うわ、来た!と思って。そしてマッツさんは、しゃべる寸前に口がパカッと開くんですよ。あれがセクシー」と分析しており、台本に入っていない箇所もディレクターと『ちょっと息を入れていいですか』と相談した上で付け足すなど、細やかなこだわりを込めていることも明かしている。また、吹き替える上での秘訣については「(マッツの場合は)なにを考えているのか、どんな演技プランを立てているのかわからない。たたずまいがそのまま役になっているから。どうするの?と思って、細胞からなにからマッツさんになろうと思った。僕はお腹だって出ているし、なれないんだけど(苦笑)。“なろう”という気持ちでじっと画面を見ていると、どういうことを考えているのか、どういう気持ちなのかが、なんとなくわかるような気がしてくるんです」と吐露した[52]。『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』で担当した際には、「マッツさんはノリに乗ってるな〜と思いました。とにかくテンション高く演じられていて、マッツさんもインディ・ジョーンズの世界が大好きなんだろうなと感じました[49]」とコメントし、またマッツのことを「チャーミングでカッコいい方[53]」と評した。
『残された者 -北の極地-』では予告ナレーションを行なっている[54]。
太字はメインキャラクター。
{{dl2 | 1991年 |
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※はインターネット配信。
発売日 | タイトル | 規格品番 | |
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2012年2月14日 | Iyashion 〜癒し音〜 | GKRK-001 |
発売日 | タイトル | 備考 | |
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2014年7月28日 | 井上和彦 Special DVD「Birthday Talk & Live 60 〜風まかせ〜」 | 2014年3月16日に赤坂レッドシアターで行われた還暦を祝うライブの模様を収録 |
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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2007年7月25日 | 今日からマ王!キャラクターソングアルバム みんなのうた | フォンクライスト卿ギュンター(井上和彦) | 「愛のみずうみ」 | テレビアニメ『今日からマ王!』関連曲 |
眞魔国王立合唱団[メンバー 1] | 「約束」 | |||
2008年3月26日 | 今日からマ王!キャラクターソングシリーズ Vol.5 フォンクライスト卿ギュンター | フォンクライスト卿ギュンター(井上和彦) | 「降誕祭の夜」 「蝋燭」 | |
2016年9月7日 | おそ松さん Original Sound Track Album | イヤミ(鈴村健一)、トト子(遠藤綾) feat.おそ松さんオールスターズ[メンバー 2] | 「SIX SAME FACES 〜今夜も最高!!!!!!!!!!!!!!〜 type FINAL」 | テレビアニメ『おそ松さん』エンディングテーマ |
2016年11月23日 | The Dragon Knights 〜GRANBLUE FANTASY〜 | ランスロット(小野友樹)、ヴェイン(江口拓也)、パーシヴァル(逢坂良太)、ジークフリート(井上和彦) | 「The Dragon Knights」 | ゲーム『グランブルーファンタジー』関連曲 |
2021年2月24日 | Amazing Intelligence 〜クズは最高!!!!!!!!!!!!!♡♡△△〜 | オムスビ(山本和臣) with おそ松さんオールスターズ[メンバー 3] | 「Amazing Intelligence 〜クズは最高!!!!!!!!!!!!!♡♡△△〜」 | テレビアニメ『おそ松さん』第3期エンディングテーマ |
DESIGNED BY HEAVEN! | パライソ☆社員スターズ[メンバー 4] | 「DESIGNED BY HEAVEN!」 | テレビアニメ『天地創造デザイン部』エンディングテーマ | |
「DESIGNED BY HEAVEN!<Ad-Option Remix>」 | テレビアニメ『天地創造デザイン部』関連曲 | |||
2021年8月18日 | おそ松さん Original Sound Track Album3 | オムスビ(山本和臣) with おそ松さんオールスターズ[メンバー 3] | 「Amazing Intelligence 〜クズは最高!!!!!!!!!!!!!♡♡△△〜 Type FINAL」 | テレビアニメ『おそ松さん』第3期エンディングテーマ |
2021年9月8日 | STATION IDOL LATCH! 02 | 烏鷹鉄路 / 新橋(井上和彦)、湊航琉 / 浜松町(狩野翔)、北颯 / 田端(矢野奨吾) | 「SUNRISE!!」 | 『STATION IDOL LATCH!』関連曲 |
2021年11月3日 | Knights of Chivalry 〜誓いのフェードラッヘ〜 | ランスロット(小野友樹)、ヴェイン(江口拓也)、ジークフリート(井上和彦)、パーシヴァル(逢坂良太) | 「Knights of Chivalry 〜誓いのフェードラッヘ〜」 「キミとボクのミライ」 |
ゲーム『グランブルーファンタジー』関連曲 |
2022年12月21日 | ポプテピピック ALL TIME BEST3 | ポプ子(井上和彦)、ピピ美(堀川りょう) | 「アイデンティティ」 | テレビアニメ『ポプテピピック TVアニメーション作品第二シリーズ』挿入歌 |
2023年6月7日 | 「吸血鬼すぐ死ぬ」キャラクターソング入りサウンドトラック② | Y談おじさん(井上和彦) | 「ライムライト・ワイナリー」 | テレビアニメ『吸血鬼すぐ死ぬ2』関連曲 |
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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2007年9月19日 | 百歌声爛 -男性声優編- | 井上和彦 | 「誰がために」〜 「メロスのように -LONELY WAY-」〜 「あしたのジョー」〜 「行け!タイガーマスク」〜 「ゲッターロボ!」〜 「銀河鉄道999」〜 「妖怪人間ベム」〜 「タッチ」〜 「ゲゲゲの鬼太郎」〜 「キューティーハニー」 |
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