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名古屋市にある運河 ウィキペディアから
中川運河(なかがわうんが)は、愛知県名古屋市港区の名古屋港から、中川区の旧国鉄笹島貨物駅(1986年(昭和61年)11月1日廃止)[1]の間を結ぶために掘られた運河[2]。昭和時代初頭から昭和30年代頃まで、名古屋地域における中心的な水上輸送路として活用された。
2017年(平成29年)10月8日から、中川運河において名古屋の都心と「みなとエリア」とを結ぶ水上交通「クルーズ名古屋」の定期運航が開始された[3]。名古屋市は運河とその岸辺の環境改善と再開発も進めている[4]。
中川運河付近にはかつて中川(笈瀬川)と呼ばれる川が流れており[5]、悪水の排出がなされていた。名古屋城築城の際には石垣に使う石の輸送を行ったともいわれる。
大正時代になると名古屋港が国際貿易港となるためには鉄道で運ばれた貨物を港まで運ぶための運河が必要であると考えられるようになり、既存の水上輸送路である堀川による輸送にも輸送キャパシティの問題が生じていたことから、名古屋市都市計画事業の一環として中川運河の建設を決定した。1926年(大正15年)に起工され、1930年(昭和5年)に竣工する[6]。名古屋港にある3メートル弱の潮の干満差による水位変化の影響を避けるため、中川口閘門を作った。並行して流れる堀川は中川運河より水位が高いが、東支線に松重閘門を設けて連結した(1932年(昭和7年)供用開始、1968年(昭和43年)閉鎖、1976年(昭和51年)廃止)。また、荒子川を運河化してそれと接続する計画も立てられた(1955年(昭和30年)事業着手、1979年(昭和54年)計画廃止)。
しかし中川運河には水源といえるものが存在しておらず、1926年(大正15年)にし尿を下水管に流して堀川などへ放流するようになっていたため、堀川と接続する中川運河も同様に水質が悪化[7]。これを改善すべく1937年(昭和12年)3月に名古屋港(中川口)から取水した海水を松重ポンプ所から導水する浄化実験が行われて急速に水質が改善した記録が残り[6]、現在も1日あたり7万立方メートルの導水が行われている[2]。
1950年(昭和25年)の第5回国民体育大会では漕艇競技が行われるなどしたものの[6]、高度経済成長に伴う沿線の人口増加などもあって昭和40年代には再び水質が悪化[2]、ヘドロが大量に蓄積したドブ川となってしまった。その後は下水道の整備や排水規制、ヘドロの除去を行った結果、少しではあるが水質は改善されている。
1982年(昭和57年)の映画『泥の河』は中川運河でロケが行われた[8]。
「中川運河水辺再生への挑戦(魅力ある水辺空間の創出)」で平成26年度国土交通省手づくり郷土賞受賞[9]。2020年(令和2年)に土木学会選奨土木遺産に選ばれる[10]。
名古屋市では、以前から中川運河の水質改善などに取り組んでいるが、毎年、数千から数十万匹の死魚の発生が確認されている。2006年(平成18年)の名古屋市環境局の調査では、夏期に上層水温が上昇することで比重や塩分濃度の違いが大きくなり、上・下層の攪拌が少なくなるのに加えて、プランクトンの死骸を分解する細菌の活動が活発化して下部の溶存酸素量が減少することなどが原因と考えられている[11]。なお、2021年(令和3年)の死魚発生数は減少傾向にある[12]。
2004年(平成16年)から改築工事によって運転を停止していた露橋水処理センターが2017年(平成29年)には再稼働したものの、根本的な水質改善には至っていない[13]。
堀止のある愛知県名古屋市中川区運河町から河口の名古屋港までの8.4キロメートル間に14本の橋が架かる。また堀川への運河には3つの橋と、JR東海の東海道新幹線・東海道本線・中央本線と名鉄の名古屋本線の高架橋が架かっている。
堀止から河口方向に記載する。
東支線から港北運河までの運河沿いの町名は、運河の西側が「●船町」、運河の東側が「●川町」とされた[14]。
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