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北海道(石狩国)にある郡 ウィキペディアから
上川郡(かみかわぐん)は、北海道(石狩国)上川総合振興局の郡。
人口49,227人、面積2,723.4km²、人口密度18.1人/km²。(2024年8月31日、住民基本台帳人口)
以下の8町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記8町に旭川市を加えた区域にあたる。
郡名は石狩川の上流部にあたることから命名。北隣の天塩国上川郡とは塩狩峠で、東の十勝国上川郡とは大雪山系でそれぞれ隔てられている。
江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属する松前藩領となっており、石狩十三場所の範囲に含まれた。田沼意次時代の天明6年2月、佐藤玄六郎は幕府に提出した蝦夷地調査の報告書(「蝦夷地之儀是迄見聞仕候趣申上候書付」『蝦夷地一件』二)で、蝦夷地は穀物栽培を禁じており、上川郡域でアイヌが米作したところ、和人は籾・種を没収し償いさせた、と書いている[1]。
江戸時代後期になると、国防上の理由から文化4年上川郡域は公儀御料(幕府直轄領)とされた。文化8年(1811年)幕吏間宮林蔵は上川郡域を調査。文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年再び公儀御料(幕府直轄領)となり、上川郡域付近まで幕府(箱館奉行)によって置かれた石狩役所の所管となる。警固は庄内藩がおこなった。松浦武四郎は安政4年と安政5年上川郡域を調査、安政4年の案内役アイヌ・ヒヤテキの父親は間宮林蔵の調査に同行しているという。
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