三十年戦争(さんじゅうねんせんそう、独: Dreißigjähriger Krieg, 英: Thirty Years' War)は、主にドイツ(神聖ローマ帝国)を舞台として1618年から1648年にかけて戦われた宗教的・政治的諸戦争の総称[1]である。
概要 三十年戦争, 交戦勢力 ...
三十年戦争 |
白山の戦い |
戦争:三十年戦争 |
年月日:1618年–1648年 |
場所:ヨーロッパ(主に、現在のドイツ) |
結果:新教徒勢力の勝利、ヴェストファーレン体制の成立
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交戦勢力 |
新教徒勢力
スウェーデン・バルト帝国 (1630–)
フランス王国 (1635–)
デンマーク=ノルウェー (1625–1629)
ボヘミア王国 (1618-1620)
ネーデルラント連邦共和国
ザクセン選帝侯領
プファルツ選帝侯領 (-1623)
ブランデンブルク=プロイセン
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領
イングランド王国 (1625-30)[注 1]
トランシルヴァニア公国
反ハプスブルク家勢力[3]
ザポロージャ・コサック(英語版)
オスマン帝国
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ローマ・カトリック勢力
神聖ローマ帝国
スペイン帝国
王領ハンガリー[4]
クロアチア王国[注 2]
デンマーク=ノルウェー (1643–1645)[注 3]
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指導者・指揮官 |
グスタフ2世アドルフ †
アクセル・オクセンシェルナ
ヨハン・バネール(英語版)
レンナート・トルステンソン
グスタフ・ホルン
カール・グスタフ・ウランゲル(英語版)
カール10世
アレクサンダー・レズリー
ルイ13世
リシュリュー
フーキエール侯マナセ・ド・パ(英語版) †
コンデ公ルイ2世
フランス大元帥テュレンヌ
プファルツ選帝侯フリードリヒ5世(冬王)
インドジフ・マトヤス・トゥルン(トゥルン伯ハインリヒ・マティアス)(英語版)
アンハルト=ベルンブルク侯クリスティアン1世
クリスチャン4世
ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル
ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世
オラニエ公マウリッツ
ピート・ヘイン(英語版)
ウィレム・ファン・ナッサウ(英語版)
オラニエ公フレデリック・ヘンドリック
マールテン・トロンプ
エルンスト・カシミール
ヘンドリック・カシミール1世
バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズ
ベトレン・ガーボル
エルンスト・フォン・マンスフェルト
クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
ボフダン・フメリニツキー
オスマン2世
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フェリペ4世
ガスパール・デ・グスマン
ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ(英語版)
アンブロジオ・スピノラ
枢機卿フェルナンド・デ・アウストリア
フェリア公(英語版)
ファドリケ・デ・トレド(英語版)
アントニオ・デ・オケンド(英語版)
カルロス・コロマ(英語版)
フランシスコ・デ・メロ(英語版)
ディエゴ・フェリペ・デ・グスマン(英語版)
アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン
ティリー伯ヨハン・セルクラエス †
フェルディナント2世
フェルディナント3世
フランツ・フォン・メルシー(英語版) †
ヨハン・フォン・ヴェルト(英語版)
ゴットフリート・ハインリヒ・グラーフ・ツー・パッペンハイム(英語版) †
バイエルン選帝侯マクシミリアン1世
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戦力 |
661,000人 :
- 150,000人 スウェーデン
- 50,000人 デンマーク=ノルウェー
- 75,000人 ネーデルラント
- 約: 100–150,000人 ドイツ
- 150,000人 フランス
- 30-40,000人 ボヘミア
- 20–30,000人 ハンガリー (反ハプスブルク家勢力)
- 6,000人 トランシルバニア
[注 4]
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450,000 人:
- 300,000人 スペイン (スペイン領ネーデルラント及びイタリアからの兵を含む)
- 100–200,000人 ドイツ
- 約: 20,000人 ハンガリー及びクロアチアの騎士[5]
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損害 |
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ドイツの人口の20 %を含む約800万人以上の死者[6][7] |
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ドイツにおけるプロテスタントとカトリックとの対立、オーストリア,スペインのハプスブルク家とフランスのブルボン家との抗争を背景とし,オーストリア領ボヘミアの新教徒が神聖ローマ帝国に対して反乱(プラハ窓外放出事件)を起こしたことに端を発した[1]。当初は皇帝=カトリック軍が優勢であったが、プロテスタント国のデンマーク、スウェーデンが参戦し、旧教国フランスが新教国スウェーデンを支持するに至り、もはや宗教戦争とは言えなくなり[1]国際的戦争となった[8]。
戦争の結果、オランダとスイスが独立し、ドイツ諸侯も独立性も強化され、神聖ローマ皇帝は名目的存在となり、ハプスブルク家は大打撃を受けた[8]。アルザス地方を獲得したフランスは大陸最強国となり、北ドイツの諸要地を獲得したスウェーデンも強国となった[1]。
この戦争はフランスブルボン家およびネーデルラント連邦共和国と、スペイン・オーストリア両ハプスブルク家のヨーロッパにおける覇権をかけた戦いであった[9]。また政治的優位性をめぐるフランスとハプスブルク家の対立だけでなく、ハプスブルク家がドイツで帝国の権威を再構築しようとしたことの延長線上にあったとも解説される[10]。
「最後で最大の宗教戦争」ともいわれ[8]、ドイツの人口の20 %を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとなった[6]。
後述するように30年間常に戦争していたわけではなく、休戦や和平によって中断されたためいくつかの段階に分かれている。そのため三十年騒乱とも言うべきものである。[要出典]