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第13代エストリズセン朝デンマーク国王 ウィキペディアから
ヴァルデマー2世(Valdemar II, 1170年 - 1241年3月28日)は、デンマーク王(在位:1202年 - 1241年)。ヴァルデマー1世(大王)の次男で、クヌーズ4世の弟。エストニア征服など一時はバルト海南部を制覇したが、晩年に多くの領土を失った。勝利王(デンマーク語:Valdemar Sejr, 英語:Valdemar the Victorious)あるいは征服王(英語:Valdemar the Conqueror)と称される。
1182年に父が死去すると、兄のクヌーズ4世がデンマーク王位を継いだ。1202年の兄の没後、当時スレースヴィ(シュレースヴィヒ)公であったヴァルデマーが、デンマーク王ヴァルデマー2世として即位した。
治世前半は好調で、北ドイツに勢力を伸ばしつつ、1219年にはエストニアの征服を果たし、バルト海南部における覇権を握った。しかし、当時バルト海沿岸への勢力拡大を図っていたドイツ勢力は、こうしたデンマークの台頭を望まなかった[1]。
1223年、シュヴェリーン伯ハインリヒ1世によって、ヴァルデマー2世と長男のヴァルデマー若王は誘拐され、3年にわたって幽閉される[2]。ヴァルデマー2世は解放の条件として多くの領土喪失を受け入れるとともに、ハンザ同盟に対して広範な商業特権を認めざるを得なかった[1]。残された海外領土は、ドイツ北東部に位置するリューゲン島とエストニアを残すのみとなった[1]。解放されたヴァルデマー2世は、失地回復を図って北ドイツを攻めるも、多大な兵の犠牲を招いたのみであった。
1241年、70歳で死去した。長男のヴァルデマーに先立たれていたので、次男エーリク4世が王位を継いだ。
デンマークの国旗については、以下のような物語が残されている。
1219年のエストニアとの戦争に際して、赤地に白い十字を描いた旗が舞い降りた。その旗を掲げればデンマークは勝利するという神のお告げに従い、デンマークはエストニアに勝利した[3]。
1205年、ボヘミア王オタカル1世の娘ダウマー(マルケータ)と結婚、2人の子を儲けた。
1214年、ポルトガル王サンシュ1世の娘ベレンガリアと再婚、4人の子を儲けた。
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