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ロス海支隊
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ロス海支隊(ロスかいしたい、英: Ross Sea party)は、1914年から1917年に行われたアーネスト・シャクルトンの帝国南極横断探検隊で、南極横断の補助的任務を担った隊である。その任務はロス海からベアドモア氷河までグレート・アイス・バリアを横切って物資補給所を順に置いて行くことであり、そのルートは、これ以前の南極探検によって開拓されていた。帝国南極横断探検隊の本隊はシャクルトンが指揮して、南極大陸の反対側、ウェッデル海岸から上陸し、南極点を通ってロス海に抜けて来る予定だった。本隊は全行程のための燃料や食料を持っていくことが難しかったので、その成功は、全行程の最後の4分の1にあたる部分に、ロス海支隊が置いて行く補給所の物資に頼ることになっていた。
![Outline of Antarctica coast, with different lines indicating the various journeys made by ships and land parties during the Imperial Trans-Antarctic Expedition](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a9/Shackleton_Endurance_Aurora_map2.png/320px-Shackleton_Endurance_Aurora_map2.png)
1914年8月、シャクルトンはその遠征船エンデュアランスでロンドンを出港し、ウェッデル海に向かった。一方ロス海支隊の人員はオーストラリアに集まり、2隻目の遠征船オーロラでロス海に向かうことになっていた。組織や資金の問題があってその出発が遅れ、1914年12月になってやっと出港できたが、それは最初のシーズンに補給所を設置できる期間が短くなったことを意味していた。ロス海に着いた後、経験の足りないこの隊は、南極で旅するための技術習得に苦闘し、その過程で橇を曳く犬の大半を失った。南極の冬が始まったときに、激しい嵐の間にオーロラを繋いでいた繋索が切れて戻って来られなくなり、陸上部隊が孤立するという不運に見舞われた。
このような挫折に関わらず、ロス海支隊は、個人間の論争、厳しい気象、隊員の病気と3人の死を乗り越えて、南極での2回目のシーズンにその任務を完遂できた。シャクルトンの本隊では、エンデュアランスがウェッデル海の氷に捉われて潰されたために、上陸できなかったので、ロス海支隊の成功は結局意味の無いものになった。シャクルトンはその隊員を最終的に安全な所まで撤退させることが出来たが、大陸横断は行われず、ロス海支隊の置いた補給物資は使われなかった。ロス海支隊は1917年1月まで孤立していたが、ニュージーランドで修繕され、再度艤装されたオーロラが到着して救出した。ロス海支隊の功績を大衆が認識できるまで時間が掛かった。隊員が仲間の命を救った功績で4人にアルバート・メダルが贈られ、そのうち2人は死後受章となった。シャクルトンは後に、このロス海支隊で死亡した隊員が「第一次世界大戦でフランスやフランダースで命を失った者達と同じくらい、国のために命を捧げた」と記していた[1]。