Loading AI tools
ウィキペディアから
レオ・レスケルー(Leo Lesquereux、1806年11月18日 - 1889年10月25日)はスイス生まれの、古植物学者、コケ類学者である。後半生はアメリカ合衆国で働いた。
ヌーシャテル州のFleurierにユグノーの時計師の息子に生まれた。ヌーシャテル大学で学び、同級生にはルイ・アガシーの弟で時計メーカーを創業するオーギュスト・アガシーや後にアメリカに渡り、地質学者となるアーノルド・ギヨー(Arnold Henry Guyot)がいた。10歳の頃の病気で聴力が劣っていたので、卒業後、しばらく教師として働くが、結婚後、父親のもとで時計職人として働き、趣味で植物学を研究した。
スイス政府が、エネルギー供給の改善のた、泥炭に関する懸賞論文を募集したのに応じて、賞を受賞するとともに、ルイ・アガシーに認められた。プロイセン政府の支援で北ヨーロッパの湿原や石炭鉱床の研究を行えるようになった。1845年にスイスの最初のコケ類目録を発表した。ストラスブールでゲオルク・ヴィルヘルム・シンパーと知り合った後、古植物学、石炭層内の化石植物にも興味を持った。
ヨーロッパに波及した革命(1848年革命)の影響で、研究職を失い、ギヨーとともに、すでにアメリカに渡っていたルイ・アガシーの誘いを受けてアメリカに渡り、オハイオに住んだ。アガシーの標本の整理の仕事をした後、実業家でコケ類の研究家のウィリアム・スターリング・サリヴァントの著作のために働いた。1849年にはサリヴァントのためにアメリカ南部を調査した。
時計商、宝石商として働きながら、コケ類や化石植物の研究をし、各州の地質学者と個人研究者として1884年まで野外調査を行った。1867年から1872年の間はハーバード大学の動物学博物館のために化石の収集を行い、化石収集家、R.D.ラコーのためにも化石の収集を行い、その化石標本は後にアメリカ自然史博物館に収められた。
サリヴァントの北アメリカのコケ類の図鑑、Icones Muscorumの執筆に協力し、完成前にサリヴァントが没した後、協力者のトーマス・ポッツ・ジェームズ(Thomas Potts James)と1874年に完成させた。
1861年にアメリカ哲学協会(American Philosophical Society)1864年に米国科学アカデミーの会員に選ばれた。
アブラナ科の植物の属名、Lesquerellaに命名された。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.