レイ卿英語: Lord Reay)は、スコットランド貴族ロード・オブ・パーラメントドナルド・マッカイ英語版が1628年に叙位されたことに始まる。歴代当主はマッカイ氏族英語版の氏族長を務める[2]

概要 レイ卿 Lord Reay, 創設時期 ...
レイ卿
Lord Reay
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紋章記述

Arms:Azure on a Chevron Argent between three Bears' Heads couped Argent muzzled Gules a Roebuck's Head erased between tow Hands grasping Daggers the points turned towards the buck's head all proper Crest:A Dexter Arm erect couped at the elbow the hand grasping a Dagger also erect proper Supporters:Dexter: a Pikeman armed at all points; Sinister: a Musketeer, both proper
創設時期1628年6月20日
創設者チャールズ1世
貴族スコットランド貴族
初代初代卿ドナルド・マッカイ英語版
現所有者15代卿イニアス・マッカイ英語版
相続人アレクサンダー・マッカイ閣下
相続資格マッカイの紋章とその姓名を受け継ぐ男子相続人[1]
付随称号(ファーの)準男爵
現況存続
邸宅オペイマーツ城
旧邸宅タング・ハウス英語版
ヴァリッヒ城英語版
モットーManu Forti(With a strong hand)
歴代当主はマッカイ氏族長を兼ねる
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一族の邸宅は、オランダ王国ヘルダーランド州ティール近郊のオペイマーツ城 (Ophemert Castle)[3]

歴史

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かつての一族の居城であるヴァリッヒ城址英語版

マッカイ氏族は古来よりスコットランドストラスネイヴァー英語版一帯からサザランド北東部にかけてを支配してきた一族である[4]

その係累の軍人サー・ドナルド・マッカイ英語版(1591-1649)三十年戦争を戦って、北欧諸国を転戦した人物である[3][5]。彼はケイスネス地方に位置するレイ英語版に地所を購入したのち、1627年(ファーの)準男爵 (Baronet, of Far)、ついで翌年6月20日にはスコットランド貴族としてレイ卿(Lord Reay)に叙された[1][3][5][6]

2代卿ジョン(1612-1680?)イングランド内戦騎士党派として活動した[3][5]。彼ののちは嫡孫ジョージが爵位を継承した[3][6]。これ以降は7代にわたって3代卿ジョージの系統で爵位は継承された[1][3]

しかし、9代卿エリック(1813-1875)が生涯未婚のまま没すると、3代卿の系統は途絶えた[1][3]。そのため、卿位は2代卿の次男の系統に遡って、親族イニアス・マッカイ(1806-1876)に相続された[1][3]。当時の10代卿イニアスの系統はオランダに帰化しており、彼自身もオランダ陸軍准将を務めた陸軍士官であった[3][7]。彼の父ヨハン・マッカイは1822年オランダ王国貴族英語版としてオペイマーツ及びゼネヴェイネンのマッカイ男爵(Baron Mackay van Ophemert and Zennewijnen)に叙されていたため、10代卿以降の当主はオランダ貴族爵位も帯びることとなった[1][3][8]

11代卿ドナルド(1839-1921)1877年にイギリスに帰化して、ローズベリー内閣下のボンベイ知事英語版インド省政務次官英語版を歴任した[1][3][9]。彼は1881年10月8日連合王国貴族としてサザーランド州ダーネスのレイ男爵 (Baron Reay, of Durness in the County of Sutherland)に叙せられたが、彼には子がおらずレイ男爵位は一代で廃絶している[3][9][10]。他方、レイ卿位とマッカイ男爵位は10代卿の弟の系統に移行して、親族エリック・マッカイが継承した[3][11]

しかし、12代卿エリック(1870-1921)は爵位を承継して僅か3か月後に急逝したため、長男がイニアスが卿位を襲った[3]

13代卿イニアス(1905-1963)は1938年にイギリスに帰化したのち、スコットランド貴族代表議員に選出されて貴族院に籍を置いた[3][12]

さらに、彼の一人息子である14代卿ヒュー(1937-2013)欧州議会議員を務めたほか、保守党政治家としてサッチャーメージャー両政権下の貿易産業政務次官英語版を務めた[13]。また、彼はブレア内閣による貴族院法制定以降も、貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人であった[3]

現当主である15代卿イニアス(1965-)もまた互選の結果、父同様に貴族院議員を務めている[14][15]

現当主が保有する爵位 / 準男爵位

現当主である第15代レイ卿イニアス・サイモン・マッカイ英語版は以下の爵位を保有している[3]

  • 第15代(ファーの) 準男爵 (15th Baronet, of Far)
    (1627年3月18日の勅許状によるノヴァスコシア準男爵位)

海外爵位

  • オペイマーツ及びゼネヴェイネンのマッカイ男爵(Baron Mackay van Ophemert and Zennewijnen)
    (1822年6月4日創設のオランダ王国貴族英語版爵位)

レイ卿 (1628年)

  • 初代レイ卿ドナルド・マッカイ英語版 (1591-1649)
  • 第2代レイ卿ジョン・マッカイ (1612頃-1680/1681頃)
  • 第3代レイ卿ジョージ・マッカイ英語版 (1678-1748)
  • 第4代レイ卿ドナルド・マッカイ (生年未詳-1761)
  • 第5代レイ卿ジョージ・マッカイ (1735頃-1768)
  • 第6代レイ卿ヒュー・マッカイ (生年未詳-1797)
  • 第7代レイ卿エリック・マッカイ (1773-1847)
  • 第8代レイ卿アレクサンダー・マッカイ (1775-1863)
  • 第9代レイ卿エリック・マッカイ (1813-1875)
  • 第10代レイ卿イニアス・マッカイ (1806-1876)
  • 第11代レイ卿ドナルド・ジェイムズ・マッカイ英語版 (1839-1921)
  • 第12代レイ卿エリック・マッカイ (1870-1921)
  • 第13代レイ卿イニアス・アレクアンダー・マッカイ (1905-1963)
  • 第14代レイ卿ヒュー・ウィリアム・マッカイ英語版 (1937-2013)
  • 第15代レイ卿イニアス・サイモン・マッカイ英語版 (1965-)

爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるマスター・オブ・レイ (儀礼称号) アレクサンダー・シャイミー・マーカス・マッカイ (2010-)。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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