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レイモンド・アーサー・パーマー(Raymond Arthur Palmer、1910年8月1日 - 1977年8月15日[1])は、アメリカ合衆国の作家・編集者である。1938年から1949年まで『アメージング・ストーリーズ』の編集長を務めたことで最もよく知られている。その後、1938年から1949年まで超常現象に関する雑誌『フェイト』を出版・編集し、最終的にはアマースト出版やパーマー出版などの自身の出版社を通じて多くの雑誌や書籍を出版した。『オアスペ』などのスピリチュアル関係の本の出版や復刻も行った。また、ケネス・アーノルドと共同で執筆したThe Coming of the Saucersなど空飛ぶ円盤に関連した本も数冊出版した。SFやファンタジーの物語も多数著作しているが。その多くは別名で発表された。
レイモンド・A・パーマー | |
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レイモンド・A・パーマー(1930年ごろ) | |
誕生 |
Raymond Arthur Palmer 1910年8月1日 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ミルウォーキー |
死没 |
(67歳没) アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ポーテージ |
職業 | 作家、編集者 |
ジャンル | サイエンス・フィクション |
ウィキポータル 文学 |
ブルース・ラニア・ライトによると、「パーマーは7歳の時にトラックに轢かれて背中を骨折した」という。背骨の手術に失敗したために成長が阻害され(身長は120センチメートル程度)、猫背になってしまった。
パーマーはサイエンス・フィクション(SF)に逃避し、貪欲にSFを読んでいた。1930年5月、ウォルター・デニスとともに、初のSFファンジンである『コメット』を編集した[2]。
1930年代を通じて、様々なSF雑誌にパーマーの物語が掲載された。1938年にZiff Davis社で『アメージング・ストーリーズ』を買収すると、編集長のT・オコナー・スローンは辞任し、制作拠点がシカゴに移された。人気作家ラルフ・ミルン・ファーリーの推薦で、パーマーに編集長の座が与えられた。1939年、パーマーは『アメイジング・ストーリーズ』の姉妹誌『ファンタスティック・アドベンチャーズ』を創刊し、1953年まで続いた。
1949年にZiff Davis社が雑誌の制作拠点をシカゴからニューヨークに移転させると、中西部を離れたくなかったパーマーは辞職し、Ziff Davis社の編集者だったカーティス・フラーとともに、クラーク出版社を設立した[3]。
編集者として、パーマーは冒険的で動きの速いスペースオペラタイプの物語を好む傾向があった。彼が『アメージング』の編集長だった期間に、アイザック・アシモフの雑誌デビュー作である"Marooned Off Vesta"(真空漂流)が掲載された。 また、パーマーは、リチャード・S・シェイヴァーの物語シリーズである「シェイヴァー・ミステリー」を支持していたことでも知られている。シェイヴァーの物語で語られていたこと(世界は中空の地球に住む先住民によって支配されているなど)をパーマーが真実であると支持したことは、SF界で物議を醸した。パーマーがシェイヴァーの物語を本当に真実だと信じていたのか、それとも雑誌を売るために物語を利用していただけなのかは不明である。パーマーは、シェイヴァーの物語のジャンルでの執筆を他の作家に依頼し、ログ・フィリップスなどが応じた。
パーマーは、Ziff Davis社で働いている間にも自身のSF出版社を開始していた。Ziff Davis社を辞めて設立したクラーク出版社では、『イマジネーション』や『アザー・ワールズ』などを創刊した。以降の生涯で『アメージング』ほどの成功を収めた雑誌はなかったが、パーマーは亡くなるまで『スペース・ワールド』誌を発行していた。
1948年、パーマーとフラーは『フェイト』を共同で創刊した。これは、占い、フォーティアン現象、死後の人格の生存の信念、予知夢、幽霊、テレパシー、考古学、空飛ぶ円盤の目撃談、未確認動物学、代替医療などの超常現象を扱う雑誌で、多くの読者を獲得した。
1955年に、パーマーが持ち分をフラーに売却し、カーティス・フラーと妻のメアリーが『フェイト』の全権を握った。以降、出版社を変えながら今日まで発行されている。
『フェイト』の創刊号で、パーマーはケネス・アーノルドの「空飛ぶ円盤」の報告を発表した。この発表により「空飛ぶ円盤」あるいは「UFO」という言葉が世間に定着し、また、『フェイト』誌の全米での認知を推進した。パーマーは『フェイト』を通じて、空飛ぶ円盤の概念を広めることに貢献した。これをきっかけに、彼は雑誌『フライング・ソーサーズ』を創刊した。
パーマーの心霊主義への関心は、彼の出版物の選択に反映されていた。彼は、「新しい聖書」と称された『オアスペ』に関心を持ち、オアスペ出版が発行したオリジナルの1882年版を15年間探し続けた。1891年に出版された改訂版はその後何年にもわたって再版されたが、オリジナルの1882年版は、1960年にパーマーがその複製を復刻するまでは入手できなかった。オアスペの読者の間では「パーマー版」や「緑のオアスペ」と呼ばれる。
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