ラム酒の反乱
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ラム酒の反乱(Rum Rebellion)は、1808年に起きた暴動で、オーストラリア史で唯一成功した、武力行使による政府の乗っ取りである。19世紀にはこの反乱は広く大乱(Great Rebellion)と呼ばれた。ニューサウスウェールズの総督ウィリアム・ブライは、ジョージ・ジョンストン(英語版)少佐指揮下のニューサウスウェールズ軍団(英語版)及びその軍団と緊密に連携したジョン・マッカーサーにより、1808年1月26日に総督職を退任させられた。アーサー・フィリップがオーストラリアにヨーロッパの植民地を建てた、その20年後のことであった。その後、ニューサウスウェールズは軍の支配下に置かれ、軍の上級士官がシドニーに駐屯して総督代理としてふるまった。この軍による支配は、1810年の始めに、ラックラン・マッコーリー陸軍少将が総督としてイギリスから赴任するまで続いた。
概要 ラム酒の反乱, 種類 ...
ラム酒の反乱 | |
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種類 | 政府への武力行使 |
結果 |
ウィリアム・ブライの総督退任 軍法会議の実施 ニューサウスウェールズ軍団の解体とラックラン・マッコーリーの就任 |
発生現場 | ニューサウスウェールズ植民地、シドニー |
期間 | 1808年1月26日-1810年1月1日 |
指導者 |
ジョージ・ジョンストン ジョン・マッカーサー トマス・ジェイミソン |
参加者 |
イギリス ニューサウスウェールズ軍団 |
関連団体 | ニューサウスウェールズ軍団 |
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