ヨークタウンの包囲戦 (南北戦争)
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ヨークタウンの包囲戦(ヨークタウンのほういせん、英:Siege of Yorktown、またはヨークタウンの戦い、英Battle of Yorktown)は、南北戦争の半島方面作戦の一部として1862年4月5日から5月4日に行われた戦闘である。北軍ジョージ・マクレラン少将のポトマック軍はモンロー砦から行軍して、ウォーウィック防御線背後のバージニア州ヨークタウンでジョン・マグルーダー少将の小規模南軍と対峙した。マクレランはバージニア半島をリッチモンドまで遡る行軍を中断して、包囲戦を布いた。
ヨークタウンの包囲戦 Battle of Yorktown (1862) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
南北戦争中 | |||||||
ヨークタウンから逃亡する南軍の追跡 by アルフレッド・ウォード | |||||||
| |||||||
衝突した勢力 | |||||||
北軍 | 南軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
ジョージ・マクレラン |
ジョン・マグルーダー ジョセフ・ジョンストン | ||||||
戦力 | |||||||
121,500[1] | 35,000[2] | ||||||
被害者数 | |||||||
182[3] | 300[3] |
4月5日、エラスムス・D・キーズ准将の第4軍団がリーズミルの南軍防御工作物で最初の接触を行ったが、ここはマクレランが抵抗無しで通過できると考えていた地域だった。マグルーダーが部隊を前後にこれ見よがしに動かしたことで、北軍はその工作物が強固に守られていると信じ込んだ。両軍が砲撃戦を交わす中で、キーズは南軍の防御の強度やその幅を偵察し、マクレランには南軍工作物に猛攻を加えることに反対する進言をした。マクレランは包囲戦用の防御物を建設するよう命令し、攻城戦用重砲を前線に持ってこさせた。その間に南軍のジョセフ・ジョンストンはマグルーダーに援軍を送った。
4月16日、北軍はダム1号の地点で南軍前線に探りを入れた。しかし、北軍はこの攻撃の当初の成功につけこむことができなかった。このことで機会を失ったマクレランはさらに2週間の時を要して海軍を説得し、ヨークタウンやグロスター・ポイントにある南軍の重砲を迂回してヨーク川をウェストポイントまで遡り、ウォーウィック防御戦の側面を衝くようにさせようとした。マクレランは5月5日の夜明けに大規模砲撃を掛けようと考えたが、南軍は5月3日の夜中にウィリアムズバーグの方向に抜け出していた