ヤング・プラン (香港)
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ヤング・プランは、イギリス領香港に代議制民主主義を導入しようと1946年に当時の香港総督マーク・ヤングが提案した政治制度改革案である。これは新しい市議会の設立を通じて香港の政治制度の基盤を広げることで、香港市民に自分たちの問題を管理する大きな権限を与えるというもので、香港では初の大規模な政治改革案であった。提案された市議会は、かなり広範な選挙権に基づく選挙で選ばれた多数派で構成され、すべての都市サービス、教育、社会福祉、都市計画、その他の機能に関する権限と自治権を持つことが予定されていた。さらに、新議会には立法評議会(LegCo)の非官守議員2名を選出する間接選挙枠も認められた。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Mark_Young_in_1930s.png)
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立法評議会の非官守議員たちは新しい市議会への権限移譲に反対し、ヤングの後任であるアレキサンダー・グランサム総督もヤング・プランに反対しており、この課題を推進しなかった。立法評議会の非官守議員の反対が続いたために議論は長引き、加えて共産中国による浸透の可能性が懸念されたため、1952年、ついに計画は立ち消えとなった。これが、1980年代に香港の主権をめぐる中英交渉が行われるまでの、選挙に基づく統治を志向する最後の動きとなった。