モースルの戦い
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モースルの戦い(モースルのたたかい、阿: معركة الموصل, Ma‘rakat al-Mawṣil; ソラニー: شەڕی مووسڵ, Şeriy Mûsil)は、イラク政府軍が、ISILにより2014年6月[66]に奪われた都市モースルを奪還するため、同盟関係にある民兵組織、クルディスタン地域政府(英語版)ならびに国際的な有志連合と共同で2016年に開始した大規模軍事作戦[67][68][69]。 「モスルの戦い」または「モスル奪還作戦」と呼称されることもある。
モースルの戦い | |||||||||
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イラクでの戦い (2013–2017)中 | |||||||||
モースル市街に展開するイラク特殊作戦部隊の車両(2016年11月16日撮影) | |||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||
軍事支援: ナクシュバンディア教団信者軍(英語版)(限定的な関与)[20][21] | ISIL | ||||||||
指揮官 | |||||||||
アブドゥルアミル・ラシード・ヤラッラー中将 (作戦司令官) タリブ・シャガティ・アル=ケナン中将 (イラク対テロ部隊司令官) ファディル・ジャリル・アル=バーワリ少将 (イラク特殊作戦部隊司令官) アブドゥル・ガニ・アル=アサディ中将 (モースル対テロ部隊指揮官) アブー・マフディー・アル=ムハンディス[22] (人民動員隊指導者) マスード・バルザニ (イラク領クルディスタン自治政府議長)[23] スティーヴン・J・タウンゼント中将 有志連合(CJTF-OIR)司令官 ムハンマド・カワリズミ[19] (ヒズボラ・イラク方面司令官) イッザト・イブラーヒーム (バアス党書記長) |
アブー・バクル・アル=バグダーディー (ISIL指導者) ハッキ・イスマイル・オイード †[24] (別名アブ・アーメド : ISILのモースル知事) アメード・カラフ・アル=ジャブリ (ISILのモースル軍司令官)[25] アイマン・アル=モスリ †[26] (ISIL特殊警備隊司令官) | ||||||||
戦力 | |||||||||
合計: 108,500–114,000 [27] 軍事支援: |
6,000–12,000 (うち外国人戦闘員 1,000+)[31][32][33][34] | ||||||||
被害者数 | |||||||||
戦死 1,200–1,400 (ISILの主張)[41] |
戦死 7,757–10,859+ (イラク軍指揮官による戦闘期間中の主張)[42] 戦死 16,467 (イラク政府外交官による主張)[43] 戦死 25,000+ (イラク軍作戦司令官による主張)[44] | ||||||||
民間人死者 6,340 民間人負傷者 17,124(2017年3月中旬時点での監視員ジョエル・ウィングによる報告)[45] 1,072,170 (国際移住機関による報告)[55][56] 920,000+ (国連とイラク政府による報告)[57] | |||||||||
a イラク政府は2017年7月10日に公式に戦勝を宣言したが[1][2]、その後も戦闘は継続し[58][59]、激しい空爆や砲撃が行われ[60][61][62]、戦闘は2017年7月20日まで続いた[63][5][6]。 イラク軍とアメリカ中央軍は、これらの戦闘は「クリアランス作戦」であると主張した[64][65]。 |
「ウィ・アー・カミング・ニネヴェ(英: We Are Coming, Nineveh 阿: قادمون يا نينوى; Qadimun Ya Naynawa)」 と名付けられたこの作戦は[70][71]、2016年10月16日に開始され、ニーナワー県のISIL支配地域(モースルを中心とする)への包囲が始まった[72][73][74]。続いて、イラク軍部隊とペシュメルガが3方面からISILと交戦し、モースル周辺の村々を制圧していった。配置されたイラク軍部隊の規模は、2003年のアメリカによるイラク侵攻作戦以来最大となった[75]。同時に、この戦いは2003年のイラク侵攻作戦以降の15年間における世界最大の軍事作戦でもあった[45]。また、第二次世界大戦以来最も激しい市街戦であったとも評されている[76]。
モースルの戦いの期間中には、リビアでISILに対するスルトの戦い(英語版)が、シリアでシリア民主軍によるISILの本拠地ラッカに対するラッカ攻勢が、同時進行で行われていた[77]。