モンゴルのセルビア・ブルガリア侵攻
モンゴル帝国軍の侵攻 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
モンゴルのセルビア・ブルガリア侵攻(モンゴルのセルビア・ブルガリアしんこう)とは、「バトゥの西征」(モンゴルのヨーロッパ侵攻(英語版))のうち、バトゥとカダアン率いるモンゴル軍がハンガリー王国領クロアチア、ダルマチア、ボスニアを荒らした後、1242年の春にセルビア王国・第二次ブルガリア帝国に侵攻した際に生じた諸戦闘の総称である。
モヒの戦いでハンガリー軍に完勝した後、カダアン率いる軍団はアドリア海に沿って南下し、セルビア領に入った。その後、カダアンは東に向かってブルガリア中央部を横切り、バトゥ率いる本隊と合流した。ブルガリアでの戦いは主に北部で行われたと考えられるが、考古学的にもこの時期の破壊の跡が発見されている。しかし、モンゴルはブルガリアを横断して南方のラテン帝国を攻撃した後、この地方からは完全に撤退した。モンゴル軍の撤退後もバルカン諸国の中でブルガリアのみはモンゴルに貢物を納めることを余儀なくされ、その後も従属関係は長く続いた[1]。