ムトゥリク
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ムトゥリク(バスク語: Mutriku)またはモトリコ(スペイン語: Motrico)は、スペイン・バスク州ギプスコア県のムニシピオ(基礎自治体)。公式名はバスク語のMutriku。世界初の防波堤設置型波力発電所であるムトゥリク波力発電所がビスケー湾に立地している。
町の名称にはふたつの異なる綴り方がある。Motrico(モトリコ)は伝統的な綴り方であり、13世紀から1980年まで公式名だった。Mutriku(ムトゥリク)は標準バスク語の綴り方であり、自治体議会の決定により1980年に公式名となった。1989年にはMutrikuが国家官報(BOE)によって承認された唯一の名称となったことで、公文書に加えて、バスク語とスペイン語を問わずバスク地方中のメディアがMutrikuという表記を使用している。
町の名称の語源は白熱する議論の対象となっている。1209年の設立勅許はMotriko(モトリコ、6文字目はcではなくk)という名称に言及しているが、建設時やそれ以前にモトリコ/ムトゥリクという名称が使用されていたかどうか定かではない。
ギプスコア県の北西角に位置している。市街地中心部から約2km西にはギプスコア県とビスカヤ県の境界があり、県境を挟んでビスカヤ県側にはオンダロアの町がある。ビスケー湾に面した海岸部はとても荒々しい岩壁を持ち、海岸は干潮時に海水浴場や釣り場となる。東に隣接するデバにはデバ川の河口が、西に隣接するオンダロアにはアルティバイ川の河口があり、デバ河口の暗色土の海岸はオンダルベルツ(バスク語で黒い土)と呼ばれるが、一方のアルティバイ河口は明るい黄土色の土を持つ。約5km離れた両河川の河口から等距離にムトゥリクの町があり、海岸は天然の港となっている。
ムトゥリク港周辺には中世風の建物が点在し、港からは町全体を見渡すことができる。人口の95%は市街地に住んでいる。市街地以外には、アスティガリビア(2014年の人口41人、以下同様)、アルツァイン・エレカ(6人)、ガルドナ(88人)、イビリ(45人)、ラランガ(159人)、ミホア(183人)、ミスキア(5人)、オラバリエタ(20人)、オラツ(44人)、ウラサメンディク(6人)の10の集落がある。
アルノ山はムトゥリクの自治体域を超えて山体を広げている。アルノ山はオークの森林や天然の針葉樹林を持つ石灰岩の塊である。ムトゥリクの地形は起伏が激しく、急峻な斜面や狭い谷が海岸線近くに迫っている。
この地域には旧石器時代から人類が居住していたことが、ジェンティレチェア2とイルロイン・ランガチョの洞窟から明らかとなっている。
1209年9月1日にはカスティーリャ王アルフォンソ8世によってムトゥリクの町が建設され、「町」の称号が与えられた。町の防衛のために市壁を建設する権利も与えられ、市壁の一部は今日のムトゥリクの町でも見ることができる。中世の町は急速に発展し、貴族・商人・軍人などの階級に属する家庭が、塔のある邸宅や宮殿を築いた。1553年の火災では町の大部分が破壊され、石造の家は残ったが、木造の家は焼失した。
19世紀末、エンジニアのエバリスト・デ・チュルカがムトゥリク港のための新しいドックを設計した。エバリスト・デ・チュルカはビルバオ河口でネルビオン川の運河化を推進した人物である。時が経つにつれて当初のデザインの問題が明らかとなったため、20世紀半ばには波の問題を修正するためにラモン・イリバレン・カバニーリェスがドックに改良を加えた。
20世紀末には漁業が衰退し、代替産業として観光業への注目が増した。船舶の入港と安定性の問題を解決するため、またビスケー湾の海岸に興味を持つ観光客を引き付けるために、古い港の外側に新たな防波堤が建設された。2011年にはこの新しい防波堤にムトゥリク波力発電所が建設されている。21世紀には中世建築が残る旧市街の深刻な交通渋滞を緩和するために、ムトゥリク港に直接アクセスできる道路の建設が行われた。また、東のデバからムトゥリクを通って西のオンダロアに至る県道GI-638号線も改良された。
ムスキスの経済においてはビスケー湾が大きな役割を持っている。歴史的にムスキス経済の主要な推進者となっていたのは漁業であり、缶詰工場に原料を供給していた。2000年代末から漁業部門は世界的な経済危機の影響を大きく受けており、現在も稼働している漁船は数隻しか残っていない。農村地域における農業は農家の自給自足および地元で消費される農作物を生産しており、余剰作物は地域の市場で販売される。少数の家畜も存在する。農村地域ではマツや他の針葉樹を用いた林業も行われている。
漁業部門への補助はまだ展開されている。歴史的に町の主要な産業だった缶詰工業は、地域内で販売される金属製品の工房に仕事を与えている。サトゥララン川沿いの平地は開発可能な土地を提供している。自治体内の主要な企業には、缶詰工業のユリタ・エ・イホス(Yurrita e Hijos)株式会社[1]、医療器具製造のメテク・モトリク(Metec Motric)株式会社[2]、身体障害者などを雇用しているカテアレガイア工房[3]などがある。
ムトゥリクの第三次産業は極度に観光業に依存している。ムトゥリクにはいくつかのキャンプ場や多数のレストランがあり、近隣のデバを訪れる観光客の食事もまかなっている。大都市住民にとって人気のバカンス地にもなっている。
2011年7月8日にはムトゥリク波力発電所が商用発電を開始。この波力発電所は世界初の防波堤設置型波力発電所であり、マルチタービンを持つ[4][5]。2008年にはポルトガル北部のポヴォア・デ・ヴァルジン近郊で世界初の商用波力発電所が稼働を開始しているが、技術的・経済的な問題によって2009年に営業を停止していた[5]。
ムトゥリクの波力発電所の建設はバスク州政府産業省エネルギー局が主導し、欧州委員会による資金援助を受けて670万ユーロの予算で開始された[5]。波の振動による圧力から空気振動を発生させ、空気振動でタービンを回転させる振動水柱型発電法が採用されている[5]。2012年時点では計16のタービンが年間60万kW/hを発電しており、600人分の消費電力を賄っている[5]。稼働開始から1年間で3,000人が波力発電所の見学に訪れており、観光スポットの一つにもなっている[5]。2010年代において波力発電はまだ発展途上の再生可能エネルギーではあるが、ビスケー湾沿岸の他都市のモデル事例となっている[6]。
ムトゥリクの人口推移 1900-2011 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[7]、1996年 - [8] |
ムトゥリクで開催される祭礼には以下のものがある。
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