ミッドウェー海戦
大日本帝国海軍が大敗した海戦 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ミッドウェー海戦(みっどうぇーかいせん、英語: Battle of Midway)は、1942年6月5日から6月7日にかけて中部太平洋ミッドウェー島周辺で行われた日本海軍とアメリカ海軍による海戦である。太平洋戦争の転換点と言われ、この戦闘における敗北により日本側は制空権と制海権を失い、以後は戦争の主導権がアメリカ側に移ったことで知られている[1]。
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ミッドウェー海戦 | |
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左上から時計回りに、日本海軍の零式艦上戦闘機、攻撃を受ける日本海軍の空母飛龍、アメリカ海軍の空母ホーネット上のF4F艦上戦闘機、攻撃を受けるアメリカ海軍の空母ヨークタウン。 | |
戦争:太平洋戦争[1] | |
年月日:1942年6月5日 - 6月7日(6月3日から5日とする見解もある)[1] | |
場所:中部太平洋、ハワイ諸島北西のミッドウェー島とその周辺海域[1]。 | |
結果:アメリカ軍の勝利。日本軍は制空・制海権を失い、戦局の主導権がアメリカ側に移行[1]。 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 |
指導者・指揮官 | |
山本五十六 近藤信竹 南雲忠一 山口多聞 † |
チェスター・ニミッツ フランク・J・フレッチャー レイモンド・スプルーアンス |
戦力 | |
日本海軍主力 空母4隻[1](艦載機248機)[2] |
アメリカ海軍主力 空母3隻[1](艦載機233機)[3] ミッドウェー島基地航空隊(126機)[4] 艦上機と基地航空隊の合計359機 |
損害 | |
空母4隻沈没 重巡洋艦1隻沈没 兵員3,057人戦死[5] |
空母1隻沈没 駆逐艦1隻沈没 兵員362人戦死[2] |
1942年4月、山本五十六司令官率いる連合艦隊が中心となり、アメリカ軍の基地となっていたハワイ諸島北西のミッドウェー島を攻略し、アメリカ艦隊の早期壊滅を目指す作戦が立案される。それに対し、日本側の暗号を解読することにより作戦を察知したアメリカ軍のチェスター・ニミッツ司令官はハワイから空母部隊を出撃させ迎撃を行った。それぞれの主力は日本側が南雲忠一司令官率いる第一航空艦隊の空母4隻(艦載機248機)、アメリカ側はフランク・J・フレッチャーとレイモンド・スプルーアンスの両司令官率いる機動部隊の空母3隻(艦載機233機)とミッドウェー島基地の航空部隊(126機)であった。航空兵力で100機以上の劣勢を強いられた日本の空母部隊は索敵の失敗もあって攻撃準備中にアメリカ軍急降下爆撃機の急襲を受けることとなり、壊滅的な損害を被った。結果として日本側は空母4隻と重巡洋艦1隻を失い、3,000人を超える兵士が戦死し、艦載機も全て喪失した。勝利したアメリカ軍も空母1隻と駆逐艦1隻を撃沈され航空機約150機を失った[1]。ただし、日本の航空機搭乗員は多くが脱出に成功した結果、戦死者は121名にとどまり、200名を超える搭乗員が戦死したアメリカ軍を下回った[6]。この戦い以後、太平洋戦争の主戦場はソロモン諸島とその周辺に移り、再編された日本機動部隊とアメリカ軍の間で激戦が繰り広げられることになる。