マーク・ハンナ
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マーカス・アロンゾ・「マーク」・ハンナ (Marcus Alonzo "Mark" Hanna, 1837年9月24日 - 1904年2月15日) は、アメリカの実業家、政治家、オハイオ州選出の上院議員(共和党)、共和党全国委員会議長を歴任。大統領ウィリアム・マッキンリーの友人かつ政治的盟友であり、1896年と1900年の大統領選挙において、その資産と経営の才覚をもってマッキンリーの当選に貢献。
マーク・ハンナ | |
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1896年の写真 | |
アメリカ合衆国上院議員 オハイオ州選出 | |
任期 1897年3月5日 – 1904年2月15日 | |
前任者 | ジョン・シャーマン |
後任者 | チャールズ・W・F・ディック(英語版) |
共和党全国委員会第14代議長 | |
任期 1896年6月18日 – 1904年2月15日 | |
前任者 | トーマス・H・カーター |
後任者 | ヘンリー・クレイ・ペイン(英語版) |
個人情報 | |
生誕 | マーカス・アロンゾ・ハンナ (1837-09-24) 1837年9月24日 アメリカ合衆国オハイオ州ニュー・リズボン(英語版) |
死没 | 1904年2月15日(1904-02-15)(66歳没) アメリカ合衆国ワシントンD.C. |
政党 | 共和党 |
配偶者 | シャーロット・オーガスタ・ローズ (1864年–1904年,以後未亡人となる) |
子供 | 3人,ルース・ハンナ・マコーミック・シムス(英語版)を含む |
出身校 | ケース・ウェスタン・リザーブ大学 (中退) |
職業 | 実業家 |
宗教 | キリスト教・無教会派プロテスタント[1] |
署名 | |
兵役経験 | |
所属組織 | 北軍 |
部隊 | ペリー・ライト歩兵隊 |
戦闘 | 南北戦争 |
1837年、オハイオ州ニュー・リズボン (現在のリズボン(英語版))にて出生。十代のとき家族とともに発展しつつあったクリーブランドに転居、当地の高校でジョン・ロックフェラーと同窓になる。大学を中退後、家業に従事。短期間ながら南北戦争に従軍、戦後彼を事業に誘ったダニエル・ローズの娘シャーロット・ローズと結婚。ほどなく会社幹部となり、数多くの分野、特に石炭と鉄鋼に手を広げる。40歳を迎える頃には大資産家となり、政治に関心が向かう。
1884年と1888年の大統領選挙でジョン・シャーマンを支援するが、シャーマンは共和党から大統領候補の指名を得ることができなかった。次の選挙のときにはシャーマンが高齢となることから、マッキンリーの支援に転じる。1895年には事業から離れ、マッキンリーの大統領選選挙活動に注力。次の年、最有力候補であったマッキンリーが指名を得られるように尽力。民主党からはネブラスカ州選出の下院議員ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが金銀複本位制あるいは「自由銀(英語版)」政策を掲げて指名される。ハンナの資金集め活動は記録破りのものとなり、ブライアンへの熱狂的な支持と活動が沈静化するや、マッキンリーは悠々と勝利した。
閣僚の地位を辞退し,代わりに国務長官に就任したシャーマンの後任としてオハイオ州選出の上院議員を受任、1898年と1904年、オハイオ州議会は再任を決議した。1901年,マッキンリーが暗殺された後は、提案されていたパナマ運河の建設に取り組む。1904年に死去するが、マッキンリーの政治的主人であるとハンナを批判したホーマー・ダヴンポート(英語版)のようなイラストレーターの風刺画のために選挙戦での役割が記憶されている。