マインクリークの戦い
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マインクリークの戦い(マインクリークのたたかい、英: Battle of Mine Creek、またはオーセージの戦い)は、南北戦争の終盤に入った1864年10月25日、プライスのミズーリ襲撃の間にカンザス州リン郡でおきた戦闘である。南北戦争の中でも最大級の騎兵戦であり、南軍スターリング・プライス少将のミズーリ軍2個師団が、北軍フレデリック・ベンティーン大佐とジョン・フィニス・フィリップス大佐の指揮する2個旅団に潰走させられた。
概要 マインクリークの戦い Battle of Mine Creek, 時 ...
マインクリークの戦い Battle of Mine Creek | |||||||
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南北戦争中 | |||||||
マインクリークの戦いの光景、サミュエル・J・リーダー画、1865年2月13日 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
北軍 | 南軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
アルフレッド・プレソントン |
ジョン・マーマデューク ジェイムズ・F・ファガン | ||||||
戦力 | |||||||
2,600名[1] | 7,000名[1] | ||||||
被害者数 | |||||||
100名 | 1,200名 |
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この戦闘は同じ8月25日に起きたプライスの軍と北軍の間の3回の戦闘では2つ目のものだった。最初の戦闘はその朝早くに数マイル離れておきたメルダジーンの戦いであり、3番目の戦闘はこの戦闘の数時間後に、近くのマーミトン川で起きたものだった。北軍は遥かに勢力で劣っていたものの、3回の戦闘全てに勝利して、プライス軍をカンザス州から追い出し、ミズーリ襲撃作戦の命運を決することになった。
この戦闘で北軍を指揮したアルフレッド・プレソントン少将は、東部戦線のブランディ・ステーションの戦い(1863年6月9日)でも南軍と騎兵戦を戦って勝利しており、ミシシッピ川の両岸で北軍のために騎兵戦で勝利するという功績を残した。