![cover image](https://wikiwandv2-19431.kxcdn.com/_next/image?url=https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/69/Merchant_Ensign_of_Holstein-Gottorp_%2528Lions_sinister%2529.svg/langja-640px-Merchant_Ensign_of_Holstein-Gottorp_%2528Lions_sinister%2529.svg.png&w=640&q=50)
ホルシュタイン公国
神聖ローマ帝国のホルシュタイン地方の領邦国家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ホルシュタイン公国(ドイツ語: Herzogtum Holstein, デンマーク語: Hertugdømmet Holsten)は、神聖ローマ帝国の最北端、ホルシュタイン地方に存在した領邦国家。今日のドイツ連邦共和国シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の一部にあたる。1474年、デンマーク王クリスチャン1世が有していたホルシュタイン=レンズブルク伯領が、皇帝フリードリヒ3世により公国とされたことにより成立した。以後この公国はその存続期間を通じ、北隣のシュレースヴィヒ公国とともに、デンマーク王家(オルデンブルク家)とその一族により統治された。
![]() |
- ホルシュタイン公国
- Herzogtum Holstein
Hertugdømmet Holsten -
← 1474年 - 1864年 →
(国旗) (国章)
ドイツ連邦における領域(1815年 - 1866年)-
1544年にデンマーク王クリスチャン3世は、弟2人とともにシュレースヴィヒ公国およびホルシュタイン公国を三分し、王家と2公家による共同統治とした。1家は早くに断絶するが、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ家は17世紀から18世紀にかけて王家と対立し、北欧の政治情勢に影響を与えた(ゴットルプ家からは、スウェーデン王やロシア皇帝を出している)。王家とゴットルプ家の共同統治は、シュレースヴィヒで1713年に終了したのに続き、1773年にホルシュタインでも終了。デンマーク王家がホルシュタイン公国の単独統治者となったが、「ドイツ」の領域内にあるデンマーク王領という特殊な地位などから、19世紀半ばにシュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題が発生。2度のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争を経て1864年にデンマーク王家はホルシュタイン公国を放棄し、その領域は1866年の普墺戦争でプロイセン王国に編入された。