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ホルコム・ウォード
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ホルコム・ウォード(Holcombe Ward, 1878年11月23日 - 1967年1月23日)は、アメリカ・ニューヨーク市出身の男子テニス選手。ハーバード大学卒業。19世紀から20世紀への転換期に活動し、1900年代の全米選手権(現在の全米オープンテニス)で男子シングルス1勝・男子ダブルス6勝を挙げた選手である。彼はウィンブルドン選手権にも1901年と1905年の2度出場し、1901年に男子ダブルス準優勝を記録した。右利きの選手で、体格は身長175cm、体重61kgほどであった。
概要 ホルコム・ウォード Holcombe Ward, 基本情報 ...
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![]() ホルコム・ウォード | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Holcombe Ward | |||
国籍 |
![]() | |||
出身地 | 同・ニューヨーク州ニューヨーク市 | |||
生年月日 | (1878-11-23) 1878年11月23日 | |||
没年月日 | (1967-01-23) 1967年1月23日(88歳没) | |||
死没地 | 同・ニュージャージー州レッドバンク | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 61kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
殿堂入り | 1956年 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全米 | 優勝(1904) | |||
優勝回数 | 1(米1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全英 | 準優勝(1901) | |||
全米 | 優勝(1899・1900・01・04-06) | |||
優勝回数 | 6(米6) | |||
国別対抗戦最高成績 | ||||
デビス杯 | 優勝(1900・02) | |||
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ウォードは当時のアメリカ男子テニス界で、同じハーバード大学のライバルであるドワイト・デービス、マルコム・ホイットマンとともに「ハーバードの3人組」(The Harvard Three)と呼ばれた。1900年に創設された男子テニス国別対抗戦「デビスカップ」の優勝杯寄贈者になったデービスとは、現役選手時代のダブルス・パートナーであると同時に、生涯の親友であった。彼はテニス技術においても「アメリカ式ツイスト・サーブ」を発明した選手としてよく知られる。これはサーブを打った時、ラケットのスイングに長いフォロースルーを持たせることで、相手の前でボールが高く弾むようにする方法である。ツイストサーブでも、ウォードの打法はホイットマンのものとは全く違っていた。