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ホクレア(ハワイ語: Hōkūleʻa)は、
ホクレアとは、1975年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一つとして建造された、航海カヌーである。建造に際しては、ニュージーランドの医師でリモート・オセアニア海域の伝統的航海技術研究の第一人者でもあったデヴィッド・ルイス、ハワイ大学で同じくリモート・オセアニア海域の伝統的航海技術を研究していたベン・フィニー、中国系ハワイ人(日系という説もある)のイラストレーターで郷土史研究家でもあったハーブ・カワイヌイ・カネ、カヌー研究家のトミー・ホームズらが中心となった。1975年から1995年まではポリネシア航海協会が所有し、1995年から2007年まではビショップ博物館が所有していたが、2007年8月22日に所有権は再度ポリネシア航海協会に戻された。
建造直後からハワイ先住民の伝統文化復興運動のシンボルとなっているが、アオテアロア(ニュージーランド)のマオリやクック諸島、仏領ポリネシア、ミクロネシア連邦、日本などからも、航海カヌー操船技術の研修生を受け入れている。また1995年以降はハワイの子供たちの教育プログラムにも頻繁に利用されており、これは現在のホクレアの活動の中心的内容となっている。ハワイ州のState Treasureにも認定されている。
これまでの間に地球4周半分の距離を航海している。
全長約19メートル。2本マスト。帆は建造当初はポリネシアの伝統的なクラブクロウセイルを装備していたが、近年ではジブ付きのラテンセイルを装備していることが多い。しかし2006年11月の改修で再びクラブクロウセイルに換装された。船体はガラス繊維でコーティングされた合板(しばしば1990年に建造された木造船のハワイロアと混同されるが、ホクレアは木造船ではない)。クロスビーム、デッキはオーク積層合板。船尾に3本の艪舵(ステアリング・スウィープ、ステアリング・パドルと呼ばれる)を備えている。港内での移動には船外機を使用するか、伴走船による曳航を行う(船外機が装備されていたのは1970年代末から1980年にかけて)。
2007年6月に横浜港に入った際には特例として港内でクラブクロウセイルによる帆走を行った。
クルーは通常2交替の当直に付いており、非番のクルーは左右の船体上に設けられた睡眠区画で休む。睡眠区画は2名による共同使用となる。食事はデッキ上に設置された水密性を持つガスコンロで加熱調理される。船尾には太陽電池が設置されており、船内に電力を供給する。この電力はARGOS発信装置、無線機、衛星電話、航行灯などに使われる。
ホクレアは建造されてから現在までに大きな仕様の変更を何度も受けている。進水直後のホクレアは左右の船体に数名ずつ漕手を配していたが、これは漕手間のタイミングの同期を取るのが非常に難しかったことと、飛沫を浴びる漕手の体力の消耗が激しかったことから早い段階で断念された。
帆形も1976年のタヒチ航海ではハワイ諸島のペトログリフに描かれたクラブクロウセイルを摸したものであったが、やがてブームの長さを短く、またカーブのRを緩くする方向に帆形が修正され、1990年代からはジブ付きのラテンセイルが基本装備となる(2007年の日本航海の最初の周防大島寄港時にクラブクロウセイルに戻され、横浜まではクラブクロウセイルを使用)。
電子装備も時代が下るごとに強化されてきており、1976年の時点では船尾部分には太陽電池は装備されていない(写真では、現在太陽電池がある場所には篭のようなものが二つ存在しているが、これらが豚と犬の篭であるかどうかははっきりしない)。ARGOSのトラッキング・システムは1980年のタヒチ航海より搭載されたものである。現在は教育プログラムに使用する衛星電話も搭載されている。
また写真から判断すると、布地による睡眠区画も1回目のタヒチ航海の時点では設置されておらず、代わりにラウハラらしきもので出来た小型の日除けがデッキ中央部分に確認出来る。
ホクレアとはハワイ語で「喜びの星」という意味である。hōkūは「星」、leʻaは「喜び」を意味する。現在ではうしかい座の「アークトゥルス」と呼ばれている星である。ホクレアは常にハワイ諸島では頭上に来るため、タヒチやマルケサス諸島からハワイ諸島へ航海カヌーがポリネシア航法で来る際には、航法師たちはこの星の高度でハワイ諸島の位置を推測したものと推定されている。
ホクレア号は2014~2017年、3年に渡る世界一周航海を行った。[4]
ホクレアは1978年の遭難事故以来、海に出る際には必ず伴走船を伴うことになっている。1976年のタヒチ航海ではメオタイMeotai、1980年のタヒチ往復ではアレックス・ジャクベンコ所有になるイシュカIshukaというヨットが伴走船を務めた。1985年から87年にかけてのアオテアロア往復ではドルカスDorcusというヨットが伴走役となった。現在のホクレアは専用設計の伴走船であるカマ・ヘレKama Heleを伴って航海している。
カマ・ヘレは1992年にアレックス・ジャクベンコによって建造された船である。特徴は全長に比して極めて高いマストと、5センチもの厚さの鋼板を使用した堅牢な船体である。最大速度は7ノットで、これはハル・スピードの上限でもあり、ホクレアを曳航している時でもカマ・ヘレは7ノットを出すことが可能であるが、単独での機走時でも7ノット以上は出ない。この船は1992年のラロトンガ航海以降、1995年のマルケサス諸島往復、1999から2000年のラパ・ヌイ往復、2004年のミッドウェー諸島往復、2007年のミクロネシア・日本航海に至るまでホクレアと行動をともにし続けている。
建造から2006年までのカマ・ヘレに搭載されていたのはデトロイト社製371型ディーゼル・エンジンであったが、2006年にヤンマー社提供のディーゼル・エンジンに換装されている。カマ・ヘレの初代船長はイシュカの船長でもあったアレックス・ジャクベンコ。2代目船長はマイク・テイラー。なお、2007年の日本航海を終えた後のハワイへの回航は、ドイツ人の船長以外は鯨井保年ら日本人クルーの手によって行われた。
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