ヘマ・マリニ
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ヘマ・マリニ (ヒンディー語:हेमा मालिनी,英:Hema Malini、1948年10月16日-)は、インドの映画女優、政治家で、他にも作家、監督、プロデューサー、踊り手など多岐にわたる[2]。ヒンディー語映画史上、最も成功した女優の一人と見なされている[3]。
ヘマ・マリニ | |
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ローク・サバー(下院) | |
就任 2014年5月14日 | |
選挙区 | マトゥラー |
ラージヤ・サバー(上院) | |
任期 2011年3月4日 – 2012年4月2日 | |
選挙区 | カルナータカ州 |
任期 2003年11月16日 – 2009年11月15日 | |
選挙区 | 上院からの推挙 |
個人情報 | |
生誕 | (1948-10-16) 1948年10月16日(75歳)[1] インド連邦,マドラス州, アマンクディ (現:インドのタミル・ナードゥ州) |
市民権 | インド人 |
政党 | インド人民党 |
配偶者 | |
子供 | イーシャー・デーオールを含め2人 継子はサニー・デーオールやボビー・デーオールを含め4人 |
職業 |
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受賞 | パドマ・シュリー勲章 (2000) |
1963年、彼女はタミル語映画『Idhu Sathiyam』で俳優デビューを果たした。1968年の『Sapno Ka Saudagar』で初の主役を演じると、以後は専ら主演女優として数多くのボリウッド映画に出演した。彼女の映画の大半は、夫ダルメンドラを相手役に主演を務めた[4]。当初マリニは「ドリームガール」として名が知れ渡り、1977年の同名映画 (Dream Girl (1977 film)) に主演した[4]。彼女はコミカルな役柄とドラマチックな役柄の双方を演じるほか、踊り手もこなす[5][6][7]。1976年から1980年まで、彼女は出演料の最も高額なインド女優の一人だった[8]。
彼女はこれまでにフィルムフェア賞の主演女優賞に11回ノミネートされており、同賞を1973年に受賞した[9]。2000年、マリニはフィルムフェアの生涯功労賞を受賞し、インド政府より民間人栄誉として4番目に高いパドマ・シュリー勲章を叙勲された[10]。2012年、サー・パダンパット・シンハニア大学がインド映画における彼女の貢献を認めてマリニに名誉博士号を授与した[11]。マリニはインド国立映画開発公社の会長も務めた。2013年、インド映画への貢献でアーンドラ・プラデーシュ州政府からNTRナショナル・アワードを受賞した[12]。
2003年から2009年まで、マリニはインド人民党の代議員として、インド議会の上院ラージヤ・サバーに選出された[13]。2014年、マリニは下院のローク・サバーに選出された。マリニは慈善活動やソーシャルベンチャー[注釈 1]に携わっており、現在はクリシュナ意識協会の生涯会員でもある[15]。彼女は踊りと演技で批評家から賞賛されている。