ブランコ郡(ブランコぐん、英: Blanco County)は、アメリカ合衆国テキサス州の中央部、エドワーズ高原に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は10,497人であり、2000年の8,418人から24.7%増加した[1]。郡庁所在地はジョンソンシティ市(人口1,656人[2])であり[3]、同郡で人口最大の町はブランコ市(人口1,739人[4])である。ブランコ郡は1858年に、バーネット郡、コマール郡、ジルスピー郡、ヘイズ郡の一部を合わせて設立され、郡名は郡内を横切るブランコ川に因んで名付けられた。郡庁所在地は1858年から1890年までブランコ市だったが、その後にジョンソンシティ市に移され、現在に至っている。
- 1150年、最初のインディアン部族がブランコ郡となった地域に住んだ。リパン・アパッチ族の先祖と考えられている[5]
- 1721年、ホセ・デ・アズロール・イ・ビルト・デ・ベラが、ブランコ川を名付けた
- 1826年、ベンジャミン・ミラムが、コロラド川とグアダルーペ川の間に、300家族が入植できる土地の許可を得た
- 1836年、コマンチ族が地域全体の領有を主張した
- 1847年、ミューズバック・コマンチ条約が締結された[6]
- 1850年代、リンドン・B・ジョンソンの祖父にあたるサミュエル・イーリー・ジョンソン・シニアと弟のジェシー・トマス・ジョンソンが、ジョンソンシティで牧畜業を始めた。町の名は甥のジェイムズ・ポーク・ジョンソンに因んだものだった。ジョンソン家はアラバマ州から移住してきていた[7][8]
- 1854年-1855年、ジェイムズ・ヒューズ・キャラハン大尉とイーライ・クレメンス・ハインズが、郡内最初の白人開拓者になった。ジョセフ・バードがバードタウンを設立し、その後ラウンドマウンテンと改名した[9]。ジョン・D・ピッツ将軍、ウィリアム・S・ジョーンズ判事、アンドリュー・M・リンゼー、ジェイムズ・ヒューズ・キャラハン、F・W・チャンドラーが、ピッツバーグ土地会社を設立した。彼等は1835年にコアユイラ・イ・テハス州から認可されていた特許土地を購入した。後にブランコ市となる土地の川向かいに、ピッツ将軍に因んでピッツバーグと名付けた町を造った。[5]
- 1858年2月12日、バーネット郡、コマール郡、ジルスピー郡、ヘイズ郡の一部を合わせてブランコ郡が設立され、郡名は郡内を横切るブランコ川に因んで名付けられた。郡庁所在地もブランコと名付けられた[5]
- 1860年、郡人口は1,218人であり、このうち奴隷が98人いた。開拓者は大半がイギリス系アメリカ人のプロテスタントであり、テネシー州やアラバマ州の出身だった。農業と牧畜業が経済の中心だった[5]
- 1861年、郡民投票でアメリカ合衆国からの脱退に反対を決めた[5]
- 1862年、テキサス州議会がブランコ郡南西部からケンドール郡を創設した。その後ヘイズ郡とバーネット郡の一部をブランコ郡に組み入れた[5]
- 1885年、郡庁舎を石灰岩造りのものに更新した。現在は「オールド郡庁舎」と呼ばれている[10]
- 1883年、ブランコ高校が設立された
- 1891年、ジョンソンシティが新しく郡庁所在地に指定された[11]
- 1910年、綿花が郡内最大の農産物になった
- 1900年-1930年、郡内の農家はピーナッツ、モモ、ピーカン、ナシ、プラム、ブドウ、イチジクを栽培するようになった。
- 1915年、サミュエル・イーリー・ジョンソン・ジュニアとその妻レベカ・ベインズ・ジョンソンが、その5人の子供達と共にジョンソンシティの家に移転した。子供達の一人がリンドン・B・ジョンソンだった[12]
- 1929年、モモとピーカンの木は2万本以上が収穫されていた
- 1933年-1942年、市民保全部隊の公共事業で郡内の公園やインフラが整備された[5]
- 1934年、ブランコ州立公園が開設された[13]
- 1937年、リンドン・B・ジョンソンが、ジョンソンシティの家の東ポーチから、アメリカ合衆国下院議員の選挙運動を始めた[14]
- 1938 リンドン・B・ジョンソンが農村電化を熱心に推進した。最初の電灯が灯った[15]
- 1960年代、リンドン・B・ジョンソンが副大統領になり、その後大統領になった。観光が重要な産業になった
- 1970年、パーダナリス・フォールズ州立公園が公開された[16]
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は713平方マイル (1,847 km2)であり、このうち陸地711平方マイル (1,841 km2)、水域は2平方マイル (5 km2)で水域率は0.30%である[17]。ブランコ郡は州央のテキサス・ヒル・カントリーに位置しており、州都オースティン市の西、サンアントニオ市からは北にあたる。ブランコ川とパーダナリス川の2つが郡内を流れている。
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年 | 人口 | | %± |
1860 | 1,281 | | — |
1870 | 1,187 | | −7.3% |
1880 | 3,583 | | 201.9% |
1890 | 4,649 | | 29.8% |
1900 | 4,703 | | 1.2% |
1910 | 4,311 | | −8.3% |
1920 | 4,063 | | −5.8% |
1930 | 3,842 | | −5.4% |
1940 | 4,264 | | 11.0% |
1950 | 3,780 | | −11.4% |
1960 | 3,657 | | −3.3% |
1970 | 3,567 | | −2.5% |
1980 | 4,681 | | 31.2% |
1990 | 5,972 | | 27.6% |
2000 | 8,418 | | 41.0% |
2010 | 10,497 | | 24.7% |
U.S. Decennial Census[18] Texas Almanac: 1850-2010[19] |
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以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
基礎データ
- 人口: 8,418人
- 世帯数: 3,303 世帯
- 家族数: 2,391 家族
- 人口密度: 5人/km2(12人/mi2)
- 住居数: 4,031軒
- 住居密度: 2軒/km2(6軒/mi2)
人種別人口構成
年齢別人口構成
- 18歳未満: 24.4%
- 18-24歳: 6.2%
- 25-44歳: 25.6%
- 45-64歳: 27.1%
- 65歳以上: 16.7%
- 年齢の中央値: 41歳
- 性比(女性100人あたり男性の人口)
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世帯と家族(対世帯数)
- 18歳未満の子供がいる: 30.4%
- 結婚・同居している夫婦: 61.5%
- 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 7.2%
- 非家族世帯: 27.6%
- 単身世帯: 24.0%
- 65歳以上の老人1人暮らし: 10.8%
- 平均構成人数
収入
収入と家計
- 収入の中央値
- 世帯: 39,369米ドル
- 家族: 45,382米ドル
- 性別
- 男性: 31,717米ドル
- 女性: 21,879米ドル
- 人口1人あたり収入: 19,721米ドル
- 貧困線以下
- 対人口: 11.2%
- 対家族数: 8.1%
- 18歳未満: 14.2%
- 65歳以上: 9.8%
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都市 | 町 | 未編入の町 |
ブランコ | ラウンドマウンテン | ハイ |
ジョンソンシティ - 郡庁所在地 | | |
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Ogilvie, Mary H; Leffler, John. “Blanco County”. Handbook of Texas Online. Texas State Historical Association. 27 November 2010閲覧。 Kelley, Dayton. “Samuel Ealy Johnson Sr”. Handbook of Texas Online. Texas State Historical Association. 27 November 2010閲覧。 “James Polk Johnson”. Texas Historical Markers. William Nienke, Sam Morrow. 27 November 2010閲覧。 “Johnson City, Tx”. Texas Escapes. Texas Escapes - Blueprints For Travel, LLC. 27 November 2010閲覧。