パーレン家 (露 : Палены , パーリェヌィ , 独 : Von der Pahlen )は、ロシア とリトアニア およびスウェーデン の貴族 。なお、ロシア語ではパーレン家の場合は複数形で「Палены 」となり、個人の場合は「Пален 」である。
パーレン家紋章
バルト・ドイツ系 の家系でポンメルン を起源とすると考えられる。15世紀 初頭にリヴォニア に移った。
1679年 9月18日 スウェーデン国王カール11世 によって男爵 位を授けられ貴族に列せられる。1799年 ロシア皇帝 パーヴェル1世 によってピョートル・アレクサンドロヴィチ・パーレン (en とその系統には、伯爵 位が、その他の系統には、1755年 と1865年 の勅令により男爵位が授けられた。
歴代当主、一族中、著名な人物は以下の通り。
ピョートル・アレクセーエヴィチ・パーレン 伯爵 (Petr Alekseevich Pahlen , ペーター・ルートヴィヒ・フォン・デア・パーレン, Peter Ludwig von der Pahlen, 1745年 - 1826年 ) - パーヴェル1世 暗殺 実行犯の中心人物の一人。
パーヴェル・ペトローヴィチ・パーレン 伯爵 (Pavel Petrovich Pahlen , パオル・カール・エルンスト・ヴィルヘルム・フィリップ・フォン・デア・パーレン2世, Paul Carl Ernst Wilhelm Philipp von der Pahlen; Pahlen the 2nd, 1775年 - 1834年 ) - ロシアの軍人、騎兵 大将 。ナポレオン戦争 で功を立てる。ピョートル・アレクセーエヴィチ・パーレンの子。
ピョートル・パヴロヴィチ・パーレン 伯爵 (Petr Petrovich Pahlen , パーレン1世, Pahlen the 1st, 1778年 - 1864年 ) - ロシアの軍人、騎兵大将。ナポレオン戦争、露土戦争 およびポーランド蜂起 (十一月蜂起 )で軍功を立てる。ピョートル・アレクセーエヴィチ・パーレンの子。
フョードル・ペトローヴィチ・パーレン 伯爵 (Fyodor Petrovich Pahlen , 1780年 - 1863年 ) - ロシアの外交官。ノヴォロシア 総督、駐ドナウ公国全権大使。ピョートル・アレクセーエヴィチ・パーレンの子。
マトヴェイ・イワノヴィチ・パーレン 男爵 (Matvey Ivanovich Pahlen , パーレン3世, 1776年 - 1863年 ) - 騎兵少将 、ナポレオン戦争に従軍する。
ドミトリー・ペトローヴィチ・パーレン 男爵 (Dmitry Petrovich Pahlen , ディートリヒ・フォン・デア・パーレン, Ditrich von der Pahlen) - ロシアの軍人。ミハイル・レールモントフ の友人。
コンスタンチン・イワノヴィチ・パーレン 伯爵 (Konstantin Ivanovich Pahlen , 1833年 - 1912年 ) - 帝政ロシア の軍人、政治家 。クリミア戦争に従軍し、セヴァストーポリの戦い で活躍する。 プスコフ県 (グベルニヤ )知事 、ロシア帝国司法大臣 (在任期間1867年 - 1878年 )を歴任した。ピョートル・アレクセーエヴィチ・パーレンの孫。
アレクセイ・ペトローヴィチ・パーレン 伯爵 (Alexei Petrovich Pahlen , 1874年 - 1938年 ) - ロシア軍中将 。ロシア革命 後の内戦 では白軍 に身を投じ、ニコライ・ユデーニチ 将軍 (en ) の下で戦った。