バールフット
仏塔遺跡の彫刻が発見されたインドの村 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
バールフット(バールフト)はインド中部のマディヤ・プラデーシュ州のサトナ地区(英語: Satna district)にある村である。村にあった仏塔の彫刻遺物で良く知られている。一つ一つの彫刻が描いている内容が、ブラーフミー文字で明示されていることが特徴。バールフットの仏塔を寄贈したのは、主にダナブーティ王である。[2][3]
バールフット | |
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基本情報 | |
所在地 | India |
座標 | 北緯24.446891度 東経80.846041度 / 24.446891; 80.846041 |
宗教 | 仏教 |
地区 | サトナ |
州 | マディヤ・プラデーシュ |
地域 | ヴィンディヤ山脈 |
奉献年 | 300–200 BCE |
教会的現況 | ストゥーパの廃墟が現存 |
現況 | 遺物は持ち去られている |
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バールフットの彫刻は、インドの美術と仏教美術の最も初期の例の一つであり、アショーカ王の記念碑の芸術(紀元前260年頃)よりも遅く、サーンチーの第二塔(紀元前115年頃から)の柵のシュンガ時代初期の浮彫りよりわずかに遅れた時代のものである。[3]サーンチー、 アマラヴァティ仏塔(英語: Amaravati Stupa)、その他のいくつかの遺跡の彫刻に比べ、質は垢抜けないところがあるが、概して良い状態で大量の彫刻が残っている。
最近の著者たちは、バールフットの柵の浮彫りの年代が、紀元前125年から100年頃であり、また明らかにサーンチー第二塔の後であるとした。バールフットの図像のほうが、はるかに発達していたからである。[3][4]
トーラナと呼ばれる門は、柵よりわずかに遅れて作られ、紀元前100年から75年のものである。[3]
歴史家のアジット・クマールは、バールフットの年代をもっと後の西暦1世紀とした。それは、年代のわかるマトゥラー美術(英語: Art of Mathura)の作品(特に支配者ソダサ(英語: Sodasa)の名を刻まれた彫刻)と様式を比較した結果である。[5]
バールフットの遺物の多くは現在、コルカタのインド博物館にあり、他の遺物はインドおよび海外の博物館にある。今は、遺跡の現場には遺物がほとんど残っていない。
仏教は12世紀までバールフットで生き残り続けた。西暦1100年頃には小さな仏教寺院が拡大され、新しい仏像が設置された。[6]
同じ時代の大きなサンスクリット語の碑文が遺跡で発見されたが、失われた様である。[7]
これは、カラチリ(英語: Kalachiri)の王たちに言及している西暦1158年のラルパハド(英語: Lal Pahad)碑文とは異なる。[8]
最近のいくつかの再評価では、シュンガ時代からバールフットを切り離し、むしろ仏塔を西暦1世紀の物とする傾向がある。それは、より年代のはっきりしたマトゥラー美術(英語: Art of Mathura)との芸術的類似性と、伝統的な古文書学の示唆によってバールフット碑文(特にダナブーティ碑文(英語: Dhanabhuti))の古さが問題視された事とに基づいている。[9][10]