ハッテラス入り江砲台の戦い
南北戦争における戦闘 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ハッテラス入り江砲台の戦い(ハッテラスいりえほうだいのたたかい、英: Battle of Hatteras Inlet Batteries)、またはハッテラス砦とクラーク砦の戦い(英: Battle of Forts Hatteras and Clark)は、南北戦争初期の小さいが重要な戦闘である。ノースカロライナ州アウターバンクスにある南軍の砦2つが、1861年8月28日に始まった北軍水陸協働攻撃に屈した。南軍砦の装備が悪く人員も整わなかった部隊は、北軍の7隻の艦船から砲撃に耐えることを強いられ、しかもそれに反撃できなかった。被害は軽かったが、守備隊はこの一方的な戦いを続けない途を選び、戦いの2日目に降伏した。この戦闘の直接の結果として、南軍による北部の海洋交易に対する妨害が著しく減じられ、北軍による南部港湾の封鎖範囲が拡がった。さらに重要なことは、北軍政府がノースカロライナのサウンドに入る途を得たことだった。ノースカロライナ州の幾つかの都市(中でもニューバーン、ワシントン、エリザベスシティおよびイーデントン)は直接脅威を受けるようになった。さらに、サウンドは南軍の守るバージニア州の海岸部、特にノーフォークの裏玄関だった。
ハッテラス入り江砲台の戦い Battle of Hatteras Inlet Batteries | |||||||
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南北戦争中 | |||||||
ハッテラス入江岬の砦占領 by Alfred R. Waud、1861年8月28日 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
北軍 | 南軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
サイラス・H・ストリンガム ベンジャミン・バトラー |
サミュエル・バロン ウィリアム・F・マーティン | ||||||
戦力 | |||||||
軍艦7隻、兵士880名 | ハッテラス島守備隊(900名) | ||||||
被害者数 | |||||||
負傷3 | 戦死4-7、負傷20-45、捕虜691 |
この戦闘は幾つかの理由で重要である。これは南北戦争の北軍では初めての意義有る勝利だった。1861年7月21日に行われた第一次ブルランの戦い(別名第一次マナサスの戦い)での敗北の後、開戦当初に重たい雰囲気にあった北軍支持者を勇気づけた。これは海軍による封鎖戦略の最初の適用例だった。アメリカ陸軍とアメリカ海軍の部隊を巻き込む最初の水陸協働作戦であり、最初の統合作戦だった。最後に砲撃艦隊による新しい戦術が採用された。艦隊は動き続けることで、艦船の大砲に対する陸の大砲の伝統的な優位をほとんど排除した。