ノーフォーク焼き討ち
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ノーフォーク焼き討ち(英: Burning of Norfolk)は、アメリカ独立戦争中の1776年1月1日に起きた出来事である。現在のバージニア州ノーフォーク港にいたイギリス海軍の艦船が町に対する砲撃を始め、部隊が上陸して特定の建物を焼いた。ロイヤリストが多かったノーフォークの町民は逃亡し、バージニア植民地とノースカロライナ植民地から来た愛国者民兵隊が占領した。この愛国者部隊はイギリス軍上陸部隊を追い出そうとしたが、火災の進行を止めようとはせず、ロイヤリスト資産の焼却と略奪を始めた。
概要 ノーフォーク焼き討ち Burning of Norfolk, 交戦勢力 ...
ノーフォーク焼き討ち Burning of Norfolk | |
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ノーフォーク地域を示す1775年の地図、北が下になっており、ノーフォークは中央右、グレートブリッジは上方にある。 | |
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1776年1月1日 | |
場所:現在のバージニア州ノーフォーク | |
結果:ノーフォークの町の焼失 | |
交戦勢力 | |
バージニア植民地愛国者軍 | グレートブリテン イギリス軍 |
指導者・指揮官 | |
ロバート・ハウ | 第4代ダンモア伯ジョン・マーレイ |
戦力 | |
民兵:1,200 以上 | 艦船:4隻、他に上陸部隊 |
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3日後に町の大半は破壊し尽くされたが、これは主に愛国者部隊の仕業だった。さらに2月初旬、イギリス軍が町に残っている資産を使わないよう、愛国者部隊が町を完全に破壊した。バージニアのイギリス当局にとってノーフォークは最後の重要な足がかりだった。イギリス軍はその後暫くはバージニア海岸部に対する襲撃を続けたが、バージニア植民地最後の総督となった第4代ダンモア伯ジョン・マーレイは1776年8月にバージニアを離れ、その後は戻らなかった。