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ShiPu Wang氏の論文では国吉康雄のアイデンティティクライシスについての詳細が分析がなされており、YunioshiのモデルがYasuo Kuniyoshiである旨明言されていますので、この部分を戻させてただきました。 ShiPu Wang Japan against Japan: U.S. Propaganda and Yasuo Kuniyoshi's Identity Crisis. American Art Vol. 22, No. 1 (Spring 2008), pp. 28-51 をご確認ください。
まずその質問にお答えする前に以下の当方の質問にお答えください。
以上の項目のすべてにお答えをいただいた時点で対応を開始いたします。--Watson system(会話) 2013年12月1日 (日) 22:52 (UTC)
私に質問される前に私が資料として示したShiPu Wang 博士の2008 Japan against Japan: U.S. Propaganda and Yasuo Kuniyoshi's Identity Crisis American Art 22(1):28-51の内容をご確認されたのでしょうか?--Watson system(会話) 2013年12月9日 (月) 13:59 (UTC)
公開されている情報ですので、わざわざ著者御本人(?)からコピーを入手する必要はありませんよ。この時代まさか郵便で送ってもらうのではないでしょうね(^_^.)。同誌は日本国内でも所蔵している図書館は複数あります。CiNiiで検索してみてください。 以前はネット上に公開されていたのですが。 他にGordon H. Chang Emerging from the Shadows. Foreword The Visual Arts and Asian American History. にも同種の内容がありますのでご確認ください。これはネットに公開されていますので瞬時に入手可能です。--Watson system(会話) 2013年12月10日 (火) 19:43 (UTC)
さらにあなたにお伺いしたいことがあります。2013-11-29T22:32:25において「 国吉へ向けられた米国社会のまなざし」の部分を削除されています。そのときコメント欄に 「出典されたShiPu Wang氏の論文の論点そのものとは無関係である為、削除いたします。)」と記されていますが、なぜ論文を入手していなかった貴兄が、この段階でShiPu Wang博士の論文の内容について語れたのでしょうか?ご説明ください。--Watson system(会話) 2013年12月10日 (火) 20:34 (UTC)
まずお断りしておかなければならないことがあります。
Wikipedia:検証可能性には
記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
とあります。
あなたがShiPu Wang氏からで連絡を受けた云々というのはウィキペディアにおいては、実証においてまったく意味がないことです。まずそれが事実か証明の仕様がないということがあります。それを許せば、「いや、私はWang氏より別の意見を聞いた」という証明の仕様がない別の主張が延々と登場しそれが説得力をもつことを許すことになるからです。
また失礼ながら、ステハンでいきなり登場され、議論無視の削除を繰り返されたあなたの対応から、私はあなたが御主張される私信そのもののやり取りの事実も疑問に感じざるを得ないのです。
つぎにあなたの主張の論点が論理の整合性において問題があるということです。
あなたは「国吉康雄の人物像をモデルにしたのもではありません。」とYunioshiのモデルが国吉氏でないこと事実そのものを否定する明言をされています。
これに対し、Wang氏(?)の発言
>>”Yuniyoshiの記述だけのために出典されるのは自分の論文を正しく使っていない、あの論文はもっとニュアンスがあって奥深いものだ”と、>>
を構文解釈すると、これは「YunioshiのモデルがKuniyoshiであるという記述があるが、このセンテンスをその部分のみをある目的のために引用してほしくない」ということを言い表していると解釈されます。Yunioshiのモデルが国吉氏でないこと事実そのものを否定するあなたの主張とWang氏(?)発言は内実が全く異なります。
Wang氏(?)とのやり取りについては、第三者に判断の仕様がありませんし、氏の論文の原文はネット上に公開されていないようですので、第三者がダウンロード可能なChang論文を取り上げてみましょう。
ウィキでは抜き書きはあまり好ましいこととはみなされていませんが正確性を期すためにそのまま記述し翻訳ます。
One of the most bizarre may be the apparent caricature of famed painter Yasuo Kuniyoshi at the hands of author Truman Capote and film director Blake Edwards, who include a Japanese American artist, a Mr. I. Y. Yunioshi, in Breakfast at Tifany’s.
「最も奇怪な事例の一つは、作家のトルーマン・カポーティと映画監督ブラック・エドワーズに意匠された、著名な画家であるヤスオ・クニヨシに関する、誰でもそれと分かるカリカチュアがあげられるだろう。彼らは作品『ティファニーで朝食を』において一人の日系人画家Mr.ユニオシを登場させている。」
この文は構文的にそれほど複雑なものではありません。ここからは「誰でもそれと分かるカリカチュア(apparent caricature)」が「Mr.ユニオシ」であると取る以外の解釈は成り立たないでしょう。
>>わざわざ写真を添えてYuniyoshiの項目を記述されている意図>>
については、それが厳然とした事実であるからです。そしてその事実を記す理由は、当時の国吉氏に対する米国の世論の評価を、主観を交えずに客観的に表現する材料として適切であると考えるからです。いまでこそこのイメージは批判の対象となっていますが、当時のメディアの論評[1]では批判の対象とはならず(むしろ好意的な評価を受けており)、当時の世相を自然に表現できる材料となると考えています。--Watson system(会話) 2013年12月11日 (水) 14:23 (UTC)
同じことを何回も繰り返したくありませんが、あなたがWang氏と知り合いだとか、仕事を一緒にしたということは証明の仕様がないので、ほとんど説得において無意味です。このことを理解できないならば、対話拒否として解す以外ありません。
<<ステハンでもないのです。<<
一度かぎりの書き込みをする際など、一時的に使い捨てられる(継続して使用する事を前提としない)ハンドルネームを捨てハンドルネーム(捨てハン,ステハン)と言います。あなたの投稿記録を確認すると、この項目以外の記述はありません。ゆえにあなたのハンドネームはステハンと判断されるのです。
それからもうひとつ「Yuniyoshi」ではなく「Yunioshi」です。お間違えの無いように。
--Watson system(会話) 2013年12月12日 (木) 11:29 (UTC)
>>多くの人々が記事を読んで、国吉康雄があたかもYuniyoshiのような人物であったと、誤解を招く危険性>>
カポーティは、Kuniyoshiの人格をモデルにMr. Yunioshiを創造したのではないでしょう。想像上のMr. YunioshiのキャラクターにKuniyoshi氏と酷似した名前を付けたということです。その名のつけ方に、当時のKuniyoshi氏に対する米国社会の世論が反映されているということです。もしKuniyoshi氏が当時米国社会でリスペクトされていたならばカポーティは激しいバッシングを受けたはずです。しかしながら結果は、当時のマスコミはそれに対する批判はなかったということです。批判が登場するのは1990年代の半ばという事実がこれを物語っています。--Watson system(会話) 2013年12月12日 (木) 12:09 (UTC)
まず第一にお願いしたいことは、他者の記述を引用するならば、きちんと「」や<< >>で括り、(閉じの部分を明確にし)どこからどこまでが引用なのかはっきりと明示してください。
「祖国とアメリカの開戦、米国社会へのへつらいと葛藤」について、(ただし正確にはこの「へつらい」という形容は私が記したものではありません、履歴を確認のこと)
まず時間の違いや用語の用法を確認する必要があります。
まずレッドパージは冷戦時の事件であり、国吉氏が米国の戦争協力を行ったのは、第二次世界大戦中(1941~45)であり、従ってレッドパージの恐怖より米国寄りの戦争協力(cooperate with the war)を行ったのではありません。
つぎに、国吉氏は日本国籍の保持者であり、米国の戦争遂行に協力する義務はありませんし、米国政府もそのような義務を日系人に強制していません。(多くの日系人は名誉ある収容所送りを選択し、例えば日系人の著名な画家イサム・ノグチ氏は自ら望んでアリゾナの砂漠の強制収容所に入所しています。戦争に協力しなかったことで米国社会よりノグチ氏に対する批判がなされたという話は耳にしたことはありません。)
それにもかかわらず、国吉氏は米国のプロパガンダに自発的に協力し、(ドーリットル空襲以前に)東京への空襲の必要性を記者に語り同胞の大量殺害を扇動しています。そして全くの空想から、日本人の醜さや残酷さを強調するポスターの製作まで行っています。その中には「空中に放り投げた赤ん坊を銃剣で突き刺し、女性の死体につきたてた銃剣に日の丸があるといったもの」[山口泰三2004:171]まで含まれます。OWIは内容のあまりの残酷さに辟易し、さすがにプロパガンダに用いることを恥じ、その一部は実際のポスターには採用されなかった経緯があります。
本記事は国吉氏がリベラリストで反戦のためにこれらの作品を制作したという、好意的解釈が記されていますが、これらはあきらかに厭戦や反戦といった内容ではなく、日本人への憎しみと憎悪を虚偽によりでっち上げ、掻き立てるものに他なりません。これらの誤ったイメージ操作が日本人への憎悪を掻き立て、結果として東京大空襲や広島や長崎への原爆投下へ結びついていったことは想像に難くありません。
ここまでして自らの自己保身と収容所への収容を逃れようとした行為に対し米国社会は厳しい視線を向け、カポーティは想像上のMr. YunioshiのキャラクターにわざわざKuniyoshi氏と酷似した名前を付けたということでしょう。その名のつけ方に、当時のKuniyoshi氏に対する米国社会の世論が反映されていると考えるということです。強調したいのはカポーティの行為を当時の米国社会は好意的に受け止めているということです。
日系人の第二次世界大戦への協力ということでは、たとえば第442連隊戦闘団(日系人からなるヨーロッパ戦線への志願者部隊)への志願者に対しては、米国社会において戦中、戦後直後においても最大限の敬意と尊敬が示され、彼らの中には名誉勲章の授章者も含まれ、彼らの業績を茶化すような言説は皆無でした。幾ら文豪でも彼らの名誉を棄損することは絶対許されないことであったと考えます。
このような国吉氏の特異な行為を考慮すると、国吉氏が「国吉がアメリカ社会に“へつらった”という」119.239.54.21氏の記述はあながち的外れではなく中立性に欠けたものではないと考えます。--Watson system(会話) 2013年12月13日 (金) 06:15 (UTC)
本ノートの議論の流れを無視した、出典の示された部分の大幅削除および改変は荒らしとして解するしかありません。--Watson system(会話) 2013年12月16日 (月) 09:54 (UTC)
Sanjuro Tsubaki氏による無効な削除依頼Wikipedia:削除依頼/国吉康雄、差し戻します--Watson system(会話) 2013年12月20日 (金) 05:36 (UTC)
国吉氏については反戦主義者やリベラリストといった美辞麗句での総括では語れないものがあると考えます。例えば1943年作品『Beheaded』(日本兵が日本刀で子供を殺害し、その母親の首を切り持ち去ろうとしている場面)については、明らかにその場面を目撃して写生したものではなく、米国社会に阿諛するために想像して日本兵の残虐さをねつ造したイメージでしょう。
国吉氏の芸術家としての才能と共にマージナルマンとしての内面的な葛藤や人間的な弱さ、卑屈さ、日和見さを含めた深い洞察に基づいた客観的記述が必要かと考えます。 --Watson system(会話) 2013年9月16日 (月) 15:21 (UTC)
戦中に製作された「誰かが私のポスターを破った」「飛び上がろうとする頭のない馬」などは、戦争の悲劇や人間存在への虚無感を強く感じさせるが、同時に微妙な立場に置かれた彼の深い苦悩と、リベラリストとしての抵抗を物語っている作品とも言える。
はからのコピペと解されるので大幅改変いたします。--Watson system(会話) 2013年12月14日 (土) 00:08 (UTC)
作風の変化と美術家の権利のための運動[編集]戦後は、当時台頭しつつあった抽象表現主義やシュルレアリスムも意識した、赤を主調とした重々しい雰囲気の画風に転じる。仮面をつけた一連の人物像などは、戦後の不安感を強く暗示していると言われる。[独自研究?]1948年ホイットニー美術館で、現存作家としては初の回顧展を開催。1952年には第26回ヴェネツィア・ビエンナーレに、アメリカ代表として出品。同時に、アメリカでの人種を問わない作家の権利と製作環境の平等を求める団体、アメリカ美術家協会を設立。今日におけるアーティスト、作家の著作権などの権利を確立した革新的な団体だったが、同時にそれらの活動から赤狩りの対象ともなる。移民帰化法の成立により、ようやくアメリカ市民権を保有する資格が生じたものの、その手続きが完了する前に、1953年胃癌のため死去。死後間もなくニューヨークで追悼展、東京で遺作展がそれぞれ開催された。
も同様。--Watson system(会話) 2013年12月16日 (月) 11:59 (UTC)
1906年、岡山県立工業学校を中退し、単身アメリカへ渡る。翌年シアトルからロサンゼルスに移り、同地の公立学校に通う。教師の助言により、ロサンゼルス・スクール・オブ・アート・アンド・デザインに通い、3年間学ぶ。1910年ニューヨークに移り、ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、インディペンデント・スクール・オブ・アーツで学んだ後、1916年アート・ステューデンツ・リーグに入学、ケネス・ヘイ・ミラーに師事。在学中、ニューヨークの反アカデミズム系作家集団「ペンギン・クラブ」の会員となり、中心メンバーのジュール・パスキンと親交を結んだ。1921年、ニューヨークのダニエル画廊で初個展。子供や牛を題材にした、プリミティブで幻想的な画風は、徐々にアメリカの画壇でも認められていく。その後1925年・28年と2度に渡ってヨーロッパを旅行するが、2度目の旅行を契機にして、従来の幻想的画風から写実的な表現へと大きく変化していく。この画風の変化は、パリで行動を共にすることが多かったパスキンらエコール・ド・パリの作家の影響が大きい。中でも、大恐慌後の暗い世相を背景にした、憂愁や倦怠、孤独感などを漂わせた女性像(「横たわる女」など)は、その後の彼の作品の中心的モチーフとなっていく。1929年、ニューヨーク近代美術館の「19人の現存アメリカ画家」展に出品、1931年にはカーネギー・インスティテュート主催の国際美術展で佳作を受賞。アメリカでの評価が高まっていく中、同年日本に一時帰国、マスコミなどの熱烈な歓迎を受ける。1933年には母校のアート・ステューデンツ・リーグの教授に就任、以後没年まで20年間その職にあった。
1935年に発表した「デイリー・ニューズ」あたりを境に、彼の画風は従来の社会的な要素に加え、新たに心理的な側面も色濃くなってくる。これは、帰国時に体験した日米間の文化的ギャップや、身辺に起こった数々の不幸などによって余儀なくされた、祖国喪失者としての自覚や、それに対する苦悩や葛藤の表れとされる。さらに、1941年の開戦に繋がる日米関係の急激な悪化が、その陰影をより深いものとした。
同上--Watson system(会話) 2013年12月16日 (月) 12:04 (UTC)
基本的には客観資料にもとづく事実のみの記述となっていますが、一部に主観的表現も交じっていることは否定できません。
「それにも関わらず国吉は自己保身から米国社会の歓心を買うべく」→「それにも関わらず国吉は自己の社会的立場を守るべく」
「リベラリストとしての抵抗を装ったオポチューニストとしての狡猾さを物語っている作品とも言えよう」→削除
といった改訂は可能と思います。--Watson system(会話) 2013年12月20日 (金) 13:26 (UTC)
現在の記述を、記事に示されている出典と照らし合わせて検討してみました。結論から言いますと非常に問題があります。
*戦時中の対日プロパガンダ参加の問題
まず山口泰二『アメリカ美術と国吉康雄』は当時の国吉について、「国吉は反日的であった」という批判は当たらない、国吉は当時の日本の軍国主義指導者と日本の一般民衆を分けて考えていた、と書いています。(山口168、170ページ)その上で現在の記述を検討します。
1,「また行動の自由の規制を受けることもなかった」
国吉はニューヨーク市外に出る時は許可証を得なければならず、「敵性外国人」としての規制は受けています。(山口166ページ)
2,「それにも関わらず国吉は自己保身から米国社会の歓心を買うべく」
根拠不明です。出典にはありません。「それにも関わらず国吉は自己の社会的立場を守るべく」に書き変えても問題は解決しません。当時の日系人や日本人移民全体の問題として、戦時中のアメリカで「敵性外国人」として差別を受け、迫害を防ぐためにもアメリカへの忠誠を表明しなければならなかったという問題はありますが、それは国吉個人だけの問題ではありません。そして国吉は自らの民主主義思想に基づいて対日プロパガンダに従事したことは山口著にちゃんと書かれています。
3,「東京爆撃」コメントの問題
実際の国吉のコメントは以下の通りです。
「日本は南太平洋を制圧することを考えており、本土のことを考えていない。しかし不安がひとたび家族への空襲に及ぶなら、兵士たちの戦意は萎えてしまうだろう。」(山口『アメリカ美術と国吉康雄』170ページより。ヘラルド・トリビューンは国吉のこのコメントを「日本人画家が東京集中攻撃を主張」と報じた。)
その上で山口は、国吉の空爆コメントは日本の文化人にも攻撃の矛先を向けてしまうもので適正ではなかったとしています。
4,ポスターの問題
注15「OWIは表現のあまりの残酷さに辟易し、さすがにプロパガンダに用いることを恥じ、その一部は実際のポスターには採用されなかった。」
「表現のあまりの残酷さに辟易し、さすがにプロパガンダに用いることを恥じ」は出典上の根拠がありません。また国吉の絵でOWIが採用したのはこういう残酷な絵とは異なる性質の1点だけです。(山口171-172ページ)
山口はこうした国吉のポスター絵について、「批判精神を欠いた」「自分の手の及ばない加工者にそうした作品を委ねるのは危険」と批判しています。
5,「リベラリストとしての抵抗を装ったオポチューニストとしての狡猾さを物語っている作品とも言えよう。」
Watson systemさんがいみじくも吐露しているように、全く主観的表現で不適切です。→watoson systemさんによりコメントアウト化されています。
*戦後の問題
6,「米国社会の彼に対する視線は冷ややかなものであった。」
戦後の国吉はアメリカの保守派と対立したという面はありますが、アメリカ美術界で活躍を続けており、このような書き方は粗雑すぎます。
7,『ティファニーで朝食を』の問題
この部分は余りに問題があります。小説版、映画版ともに「ユニヨシ」という日系人が登場し、この人物の名前は国吉に由来するのではないかという指摘があるのは事実です。
しかし、小説版ではユニヨシに対する人種差別的な描写は少なく、作者のカポーティはむしろ自由を求める主人公に呼応する立場の人間として日系人ユニヨシを登場させ、暗にアメリカの人種差別傾向を批判したのではないかと村山瑞穂はむしろ指摘しています。(村山「ティファニーで朝食を』の映画化にみる冷戦期アメリカの文化イデオロギー」109ページ)
ユニヨシが一転して人種差別的カリカルチュアとして描かれるのは映画版の方ですが、映画作者側に国吉個人への悪意があったという出典は出ていません。ちなみに村上由見子『イエロー・フェイス ハリウッド映画にみるアジア人の肖像』と澤野雅樹「謎のユニオシを求めて」には国吉の名前は全く出てきません。Gordon H. Changの論文も批判の矛先は映画版の方ですが、なぜ国吉だったのかという説明は出ていません。そもそもこれらの出来事は国吉の死後の出来事で、国吉の画家としての業績とは直接関係がありません。
総じて言いますと、現在の版は国吉に対する主観的、あるいは明らかに失当な批判が多すぎ、その一方で国吉の画家の業績についての記述が足りません。全面的な改稿が必要です。なんでしたらこちらでスタブ程度なら書いてもいいです。--122.22.209.55 2013年12月21日 (土) 05:40 (UTC)
原案の全面的書き換えには反対いたします。改稿案を出して置き換えるのはこれまで積み上げてきた議論の流れを無視するものとしか考えられません。このような方法ですと、今度は相手方も同じようにまとまった文章を作ってきて張り替えるという対抗手段に出てきた場合、それを認めざるを得なくなり、結果として収拾がつかなくなります。
いきなりこのような改稿案をぶつけて来て反対者がなければ一週間で書き換えると宣言する方法そのものは、暴挙に等しく、強く反対いたします。
また反対の理由を具体的に示しますと、国吉の作品に対する描写がすべて具体性を外したものに書き換えられている点が訝しく思われます。
第二に「小沢」「山口」、これには具体的な書名があとから記されるものかもしれませんが、国吉に対する資料を基にした客観的記述ではなく、「小沢」「山口」氏の国吉論の紹介になっている感があります。
この他国吉の心理に関する近年のChang, Wangらの議論が外されているのも不可解な印象を受けます。
まだまだ問題が指摘できますが、一つ一つ議論を積み重ねて改訂していく方法をとるべきでしょう。
また上記で何回も申し上げていることですが「122~のものです」では自己同一性が図れませんので(すなわち別の人物が入ってきても見分けがつかないということです)、可変IPを使うならばログインして議論に参加してください。「122です」と言っていながら既に「124.」で発信されていますね。この改定案については数カ月の議論が必要になると思います、そのとき会話の相手が入れ替わったのか混乱するのは是非避けたいと思います。--Watson system(会話) 2014年3月8日 (土) 11:02 (UTC)
ただ、今回の加筆を通じて、残念ながらWatson Systemさんの言動について不可解な点をいくつか見つけてはいました。
1、私が来る前のこの記事の記述に、出典として提示されている山口文献と食い違う個所があると私が指摘して以降、Watson Systemさんの方は山口文献を結局再確認しようとせず、文献に基づかない主張に終始しました。
2、私が先日改稿案を書いた際、Watson Systemさんは「「小沢」「山口」、これには具体的な書名があとから記されるものかもしれませんが」とおっしゃいました。山口=山口泰二『アメリカ美術と国吉康雄-開拓者の軌跡』NHK出版、2004年であり、小沢=小沢善雄『飛翔と回帰―国吉康雄の西洋と東洋』日本文教出版、1996年であることは記事の参考文献欄を読めばすぐにわかりますし、何よりもこの記事で精力的に活動していたはずのWatson Systemさんなら言うまでもなくすぐに分かるはず、と考えていたのですが・・・。
3、Watson Systemさんは以前アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークにてこのような加筆をしていますが、当該文献を見たところ、昭和天皇の絵についての記述は全く見当たりませんでした。
4、このノートの冒頭で、Watson SystemさんはShiPu Wangの論文に基づいてユニヨシのことをお話していますが、私が先日Wang論文を精読したところ、ユニヨシについての記述が全く見つかりませんでした。
3については先日私が改稿案を書いた際には既に気が付いておりましたが、もしかしたらWatson Systemさんが何か取り違えているのではと考えていました。しかし、今週になってWang論文を実際に入手して読んだ結果、更に4が浮上しました。1、2も合わせると、Watson Systemさんが実は国吉についての関係文献をろくに読んでいないのではないかという疑惑を抱いたのです。
私が書いた改稿案に対してもWatson Systemさんはいちゃもん(敢えて言う)を付けていますが、私の答えは「実際に出典を読んでください」としか言いようがありません。出典が付いているところに「要出典」とはどういうことでしょうか。実際に出典を読んだ上で、出典側と食い違いがあるという批判なら分かりますが・・・。
改稿案は、どう少なく見積もっても現行よりはましだろうと考えています。Watson Systemさんがこうなってしまった以上、とりあえず改稿させていただきます。もちろんこれが完璧だとは私も思っていません。後の人が更に改善してくれることでしょう。
最後に。Watson Systemさんのお望み通り、Wang論文に基づく記述を追加します。Wang論文の要旨は、「戦時中の国吉はOWIでプロパガンダに従事したが、その際に実は国吉は日本人に対する人種差別的な描写を避け、なるべく普遍的な観点に基づくポスターを書こうとしていたのではないか」というものでした。山口をも上回る斬新な視点です。--114.154.66.157 2014年3月14日 (金) 17:34 (UTC)
122のものです。上記のとおり、Watson systemさんはLTA:HOWとしてブロック済みですが、Watson systemさんが国吉康雄の関連記事で行った編集をまとめます。
・アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク・・・上記の通り。虚偽出典。修正済み。
・反日・・・。山口には「プロパガンダ参加をもって、国吉のことを反日と呼ぶのは不適切」という指摘があります。こちらも修正済み。
・プロパガンダ・・・。「日本人でありながら」という記述は不適切。(当時の国吉は単に国籍が日本であったということで、アイデンティティは日本にはない。更に人種的な点から国吉自身が差別に面した事情。)一部修正。
・ユニオシ・・・ノート:ユニオシ参照。--122.21.195.150 2014年3月24日 (月) 08:42 (UTC)
このノートの最初の方で、Watson systemさんはイサム・ノグチが戦時中に自ら志願して日系人収容所へ入ったとし、国吉を批判する材料としています。これについても不適切な部分があるため一応書いておきます。(122のものより)
日米開戦後、大統領令9066号により強制収容の対象になった日系移民は、実際はアメリカ西海岸4州の住民に限られています。(小沢160ページ)ニューヨークに住んでいた国吉も、ノグチもこの9066号の対象には選ばれていません。彼らは西海岸に住んでいなかったからです。無論、収容されなかった日系人も「敵性外国人」として監視と行動制限の対象となり、またアメリカ当局から「危険人物」とみなされれば逮捕される可能性はありましたが(和泉真澄『日系アメリカ人強制収容と緊急拘禁法』明石書店、2009年、33-34ページ)。
ノグチの場合ですが、彼はまず日系人収容に反対する運動を起こします。しかしそれが徒労に終わった結果、内務省の友人の誘いにのって収容所内で「美術指導」をするという事で収容所に行ったのです。彼の立場はあくまでアメリカ政府から派遣された職員だったので他の収容者と比べて待遇は良かったのですが、収容所から出る事は許されず、また収容所内の日系人からも疑惑の目で見られて美術指導どころではなく、数ヵ月後には収容所からの退出を望むようになります。しかし当局はなかなか認めず、ノグチは政府筋の人脈に働きかけてようやく退出するのです。(小沢164ページ、久我159-164ページ)ノグチは政府派遣職員として収容所にいったのであり、また収容所内にずっと抑留される事を望んだわけでもありません。それに小沢はノグチにも国吉にも同じく収容日系人に対する高圧的、差別的な態度があったとしています。ノグチと国吉を対立的にとらえる見方は少なくともウィキぺデイアでは不適切ではないでしょうか。そういう書き方をしたいなら、そういう書き方をしている出典が必要です。--122.21.195.150 2014年3月24日 (月) 08:42 (UTC)
IP:124.101.13.239(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さん
>>「122.20.6.250と122.22.209.55以前にはこの記事にもノートにも触れていません。」>>
とのことですが、すなわち過去において122.20.6.250と122.22.209.55のIPを使い分けたということですね。
あなたはIP:122.22.209.55(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)で記入をされた段階で自分がIP:122.20.6.250(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)と同一であると明言されていません。私はこの段階でこの二つが別人と考えておりました。これは明らかにソックパペットであると思いますが、いかがでしょうか?同一ページに複数の人間を装って(故意であろうとなかろうと)IPを使い分けて記述することは投稿ブロックに値する重大な逸脱行為(Wikipedia:多重アカウントの不正使用)です。(今までのパターンでは恐らくこの後、活動を中止していた澤田充氏もしくはSanjuro Tsubaki氏が突如復活して、自身にたいする弁明を始められることになると思いますが。)
記事内容に関する議論とは別にこのことははっきりさせておく必要があると思います。 --Watson system(会話) 2013年12月22日 (日) 02:34 (UTC)
上記をご覧になられるとお分かりと存じますが、不審な書き込みが続き、過度に警戒的な対応になりましたことをお詫び申し上げます。
多くの画集の解説には国吉のリベラリストとしての側面のみが強調されています。しかしながら近年国吉の内面的な問題に踏み込んだ研究が米国において展開しています。彼の米国側に立っての一連の戦争協力が純粋なリベラリズムからのものなのか、それとも狡猾な自己保身からのものなのかは今となっては分かりません。百科事典のウィキペディアは、ただ客観的に彼の行動を出典を元に客観的に正確に記し、読者の判断に委ねるしかないと思います。
戦争プロパガンダ画は敵方への批判がモチーフとなっていますが、右の例のようにその多くに百パーセントの敵意ではなくどこかしら滑稽さや、ユーモアがみられ、そこがせめてもの救いとなっています。しかしながら国吉のOWIの依頼により描かれたポスターには、「日本兵が日本刀で母親とその幼児を殺害し、さらにその母親の首を切り、そして持ち去ろうとしている場面」を全くの想像から描き出すといった、日本人の人間性を完全に否定し、日本人を殺戮すべき憎悪の対象以外には認めないとする日本人に対する憎悪と憎しみをかきたてるだけの内容になっています。そして他の作品では祖国に殉じた日本人の兵士の遺体をゴミとして捨てるさるという絶望的内容が描かれています。これらが平和と民主主義を希求するリベラリズムからのメッセージと好意的に解釈することは相当な無理があると考えます。これが日本人によって描かれたのは実に恐るべきことであり、単なる国吉の米国社会への憧憬や予期的社会化では説明がつかないものと思います。
こういった国吉の画集の解説などでは紹介されなかった一面を余さず紹介することは国吉康雄という人物の真の姿を伝えるうえで欠かせないと考えます。このことはまた中立性を旨とするウィキペディアには必要なことと考えます。--Watson system(会話) 2014年2月2日 (日) 12:28 (UTC)
本ページには複数の可変IPや不可思議な行動をとるログインユーザーが立ち代わり現れ、非常に混乱しています。ここですべてのユーザー(もちろん提案者のWatson system(会話)も含まれます)にCUを掛け合い、身元を確認しあってから議論を進めたいと思いますがいかがでしょうか。「管理者の方に通告してもらって管理者のご判断を仰いでもらうしかないと思います。」とまで申し出て下さっておられるのですからぜひご同意ください。--Watson system(会話) 2014年3月8日 (土) 11:19 (UTC)
了解いたしました。
上記をご確認いただければわかると思いますが、似たような執筆傾向をもつ複数のステハンと可変IPが立ち代わり登場しています。こちらとしては何人の相手と対応しているのか、そして誰が誰と同一者か分からず、今後の話し合いを続けていくことが困難な状態になっております。
可変さんについてはまず上記のステハンと同一者でないことを明言してください。それを管理者のKs aka 98さんにご確認いただきたく存じます。※IPとログインの併用は明らかにソックパペットだと御自覚ください(Wikipedia:多重アカウントより)。そしてIPについては具体的に自分が今までどのIPとどのIPを使ったのか個々に正確に記してください。
IPアドレスがその都度変わる可変IPを使うことは受け手としては混乱を招きます。これに対しては、ログインの作成をお願いし、それでも可変IPを使い続けられる気ならば、コメント依頼を提出してどのような対応策が可能かコミュニティに諮り検討して行こうと考えております。いずれにしても管理者のKs aka 98さんにおかれましてはよろしく監視の程お願いいたします。--Watson system(会話) 2014年3月13日 (木) 13:21 (UTC)
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