ニギディウス・フィグルス
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プブリウス・ニギディウス・フィグルス、(ラテン語: Publius Nigidius Figulus 、紀元前98年頃 - 紀元前45年[1])は、共和政ローマ後期の政務官。紀元前58年にはプラエトルを務めた。学者としても知られる彼はキケローの友人で、カティリナの陰謀の折にはキケローに助力している[2][3]。ニギディウスはガイウス・ユリウス・カエサルとポンペイウス・マグヌスのローマ内戦ではオプティマテス(閥族派)に与している。
概要 プブリウス・ニギディウス・フィグルス P. Nigidius Figulus, 出生 ...
![]() プブリウス・ニギディウス・フィグルス P. Nigidius Figulus | |
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出生 | 紀元前98年頃 |
死没 | 紀元前45年 |
氏族 | ニギディウス氏族 |
官職 |
護民官(紀元前59年?) プラエトル(紀元前58年) レガトゥス(紀元前52年-51年) |
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ニギディウスの学問に関して名声は同時代人の間ではマルクス・テレンティウス・ウァロに次ぐ二番手にすぎない。同時代においてさえ彼の著書は難解と見なされたが、それはひょっとするとその秘教的ピタゴラス主義の故なのかもしれない。ニギディウスはストア派の要素とピタゴラス主義を合体させた。ヒエロニムスは彼を「Pythagoricus et magus」つまり「ピタゴラス主義者にして魔道士」と呼んだ。また中世からルネサンスにかけてニギディウスは慣習的に魔法使い、占い師、オカルティストとして描かれた。彼は膨大な量の著作をものしたが、現代では他の作者の著作に断片として残っているに過ぎない。