ナバロ郡 (テキサス州)
テキサス州の郡 ウィキペディアから
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ナバロ郡(ナバロぐん、英: Navarro County)は、アメリカ合衆国テキサス州の中央部北に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は47,735人であり、2000年の45,124人から5.8%増加した[1]。郡庁所在地はコーシカナ市(人口23,770人[2])であり[3]、同郡で人口最大の都市でもある。郡名はテキサス革命でテハーノの指導者となり、テキサス独立宣言に署名したホセ・アントニオ・ナバロに因んで名付けられた。
ナバロ郡はその全体でコーシカナ小都市圏を構成している。
1860年、エイブラハム・リンカーンが大統領に当選した後、ナバロ郡は抗議のために郡庁舎からアメリカ国旗を降ろし、テキサス州旗を掲揚した。1861年初期、ナバロ郡から450名ほどの者達が新設南軍に入隊した。その中から2人、すなわちロジャー・O・ミルズとクリントン・M・ウィンクラーが傑出した士官になった。ウィンクラーは南軍の大佐となり、テキサス州南西部のウィンクラー郡にその名前を残した。ナバロ郡議会は、武器弾薬の資金手当を行い、兵士の家族の支援も決めた[4]。
戦中の1861年7月にはコーシカナ周辺の志願兵からなる87名の南軍歩兵で、ナバロ・ライフル隊が結成された。ナバロ郡の設立者クリントン・M・ウィンクラーが当初の隊長になった。この部隊はドレスデン、スプリングヒル、さらに後にはウェーコやハリスバーグで訓練を行った。ナバロ・ライフル隊はテキサス第4志願歩兵連隊の第1中隊になった。1861年9月、この部隊はバージニア州リッチモンドに到着し、ジョン・ベル・フッド将軍の指揮下に置かれた[5]。
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は1,086平方マイル (2,813 km2)であり、このうち陸地1,008平方マイル (2,611 km2)、水域は79平方マイル (205 km2)で水域率は7.23%である[6]。
年 | 人口 | %± | |
---|---|---|---|
1850 | 2,190 | — | |
1860 | 5,996 | 173.8% | |
1870 | 8,879 | 48.1% | |
1880 | 21,702 | 144.4% | |
1890 | 26,373 | 21.5% | |
1900 | 43,374 | 64.5% | |
1910 | 47,070 | 8.5% | |
1920 | 50,624 | 7.6% | |
1930 | 60,507 | 19.5% | |
1940 | 51,308 | −15.2% | |
1950 | 39,916 | −22.2% | |
1960 | 34,423 | −13.8% | |
1970 | 31,150 | −9.5% | |
1980 | 35,323 | 13.4% | |
1990 | 39,926 | 13.0% | |
2000 | 45,124 | 13.0% | |
2010 | 47,735 | 5.8% | |
Texas Almanac: 1850-2010[8] |
基礎データ
人種別人口構成
年齢別人口構成
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世帯と家族(対世帯数)
収入収入と家計 |
ナバロ郡はダラス・フォートワースメディア市場に属している。地元ではテレビ局10局から放送が流されている。地理的にウェーコ都市圏に近いので、ウェーコ、テンプル、キリーンの放送局からも受信できる。また東テキサスのタイラー、ロングビュー、ジャクソンビルのメディア市場からも視聴できるものがある。郡内で発行される新聞としては「コーシカナ・デイリーサン」がある。
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